2.27.2007

自動車免許の再取得5

仮免実技試験の日、1週間ぶりの鮫洲試験場では再び受験生の数に驚かされた。マニュアル車に限って言えば、私1人だけ。オートマチック車で受験する人は数人いたが、とにかく私は、自分の前で運転する人の按配を確かめてから試験を受けられるものと思い込んでいた予定が簡単に覆され、試験の説明を聞くとさっそく乗車する運びとなってしまった。

予定外のことはまだ続く。乗車しクラッチとブレーキの具合を確かめると、これが異様に硬い。硬いという印象は、私が昔乗っていた車や教習所の車と比較したもので、本当はこれぐらいの硬さが適切で、私が経験してきたものが軟らかすぎるということなのかもしれない。この慣れぬ感触が逆作用を及ぼし、直線で45キロを出した後のブレーキングにおいて、私は慎重にブレーキを踏んだ結果、あまり減速せずあわてて何度もポンピングブレーキを繰り返した。いきなりの失点である。その後坂道発進などは無難に切り抜けたものの、ここでもう一つ、路上や教習所とは異なる予定外の条件に惑わされる。

それは、コース上に私の車と、オートマチックで受験しているもう1台の車しか走っていないということだった。基本的に教習所では他の教習車が大勢走っていて、度々流れが止まる。だから止まっている間に次の流れや項目を確認し、やらなければならないことに備えることができるのだが、試験本番の空いたコースではそうはいかなかった。私は赤信号のために速度を落とし、停止直前にギアをローに変えようとしたところで信号が青に変わった。ほとんど車は停止状態に近かったが、うっかりとギアをローに落とさないままセカンドで再び加速。エンストを起こしたわけでもなく、一見問題のない行為だがこれも減点対象になる。

こうして私は試験に落ちた。1週間後に再試験の予約を入れ、教習所にも不合格の知らせと、再試験までの間に追加実習をお願いする旨を伝えた。私は自動車免許試験に限らず、試験というもの自体を久しく体験していなかったので、筆記試験に合格した際は試験の難易度を超えた喜びを感じたものだが、不合格という体験もまた、忘却の彼方にあったものを掘り起こされたような、嫌なものであった。

再試験の前日に私は池袋から教習所へと向かい、再び実技教習を受けた。教官は不合格を残念がってくれたが、一方で「最初は慣れないということもあってよく落ちるものだが、2度目で絶対受かるようにしましょう」と言ってきた。内心では"鮫洲で受ける試験は相当難しいものだから、3回のうちに受かれば上等かな"と甘い考えを抱き始めていた私にはその言葉がプレッシャーとなり、また目を覚まされたような気にもなった。

2.23.2007

チャンピオンズリーグの生ストリーミング観戦

先日のこと、ふと朝4時に目覚めた私は、その45分後に開始するUEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)のバルセロナ・リバプール戦をどうしても観たくなり、久しぶりにインターネットのストリーミング放送による生中継観戦を試みた。

そうは言っても、私は"スカパー!光"などのいわゆる正式な観戦ルートを持っているわけではないし、朝4時の段階で今から45分の間にそういったサービスへ加入することもできないから、簡単に視聴環境を整えるというわけにはいかない。実は1年ほど前にも、同じように昨年度のCLバルセロナ・ACミラン戦を生観戦しようとして悪戦苦闘した思い出がある。

その時は様々な角度からの検索を試みた結果、世界中のストリーミング放送を網羅するリンク集(http://wwitv.com/television/index.html)を発見し、その中のリンク先を1つずつ見て行った結果、目当ての番組がフィリピンのスポーツ局で流れていることを1時間ぐらいかけて発見することができた。バルセロナのサッカーを観る事が出来る喜びというよりはむしろ、フィリピンのサイトに行き当たるまでの苦行の成果が目前に現れていることへの達成感によって満足を得ていたことを覚えている。

その思い出を参考に、まずはフィリピンのスポーツ局へアクセスしようと思ったが、今はリンク集から外されていた。従って私は、再びリンク先を1つ1つ当たってみるしかなくなったのだが、1年前に身につけたノウハウというのが1つだけあって、そのノウハウによって、全てのサイトにアクセスすることなくアクセス先を絞り込むことにした。

ノウハウといっても大したことではなく、それは"先進国のストリーミング放送ではCLを生中継したりしない"というだけのものだ。先進国といっても純粋経済的な物言いとはニュアンスが異なり、サッカー中継に対するビジネス感覚や、ストリーミング放送そのもののビジネス的成熟度という項目においての先進国ということになるが、CLのような大イベントをネット上で無料生中継するとなると、この2項目について大らかな、発展途上の国でしか行われていないはずだという試論(+若干の経験則)は、この場合かなり有効なノウハウになっていると言えるのではないかと自負するところである。

とまあ、こんなニッチなところでのノウハウを朗々と語っても仕方のないことだとは自覚もしているが、とにかく西欧など"先進国"のサイトは避け、こつこつと作業を続けたところ、試合開始2分後ぐらいのタイミングでベトナムのVT1という放送局に、バルセロナとリバプールの面々が映し出された。画質はだいたい、YouTubeなどにアップロードされているようなものと同等かそれ以上。英語テロップ表示は何とか読めるし、悪くない画像だといえる。音質も良好(ただしベトナム語)。通信の具合も1試合の間に2度だけ少し乱れたが、概ね問題なく流れていた。

そういうわけで、1年ぶりのCL無料生ストリーミング観戦を十分に堪能できたのではあるが、試合結果のほうは、私にとっては最悪のもので朝から途方に暮れた次第である。

2.20.2007

自動車免許の再取得4

仮免の筆記試験に合格し、いよいよ車の運転を学ぶ時が来た。

教習所へは池袋駅からマイクロバスに乗って行くことになる。私は池袋という街に今まであまり縁がなかったのだが、サンシャインビル群のちょっとした狭間にある高速道路の入口からぐっと螺旋の坂を登り、トヨタのショールームらしきものがある不思議な形の建物や、巨大なドンキホーテなどを眼下にしながら走っていくバスの車窓はとても不思議で、30年前の人間が想像した20年後の都会を思わせるような風景だ。タルコフスキーの「惑星ソラリス」という映画を連想させる風景なのである。もっとも「惑星ソラリス」には実際に東京の首都高速が未来都市の風景として使われているのだが、この路線ではない。

教習所がある埼玉県の河川敷もまた、私には新鮮な風景が広がっていた。広域にわたって公園化されていて、それでいて施設が少ない、とてもゆったりとしたつくりになっている。遠くには大きな水門や高いアンテナが見えて、さらに遠くにはさいたま新都心のビル群を望むことができる。ここにおいて私は広大な北海道の風景を連想してしまう。

話は脱線するがこういった景色の第一印象というのはとても大事なことなのではないだろうか。私などは成田空港に用事があると、いつもそれを考える。日本を初めて訪れた外国人が空港から電車に乗り、トンネルを抜けて広がる景色を目の当たりにして何を思うか。とにかく私にとって、教習所へ到るまでの光景は極めて気分の良いものだったので、これからはじまる教習にも積極的な気分で臨めることになった。

結局この後、仮免の実技試験までに私はあと4回、この地へ通った。教官の指導は想像以上に(と言っては失礼だが)的確かつレベルの高いもので、免許取得後までを視野に入れた教え方のように思えた。車を運転すること自体が久しぶりで、しかも教習コースのようなところを走るのはそれこそ、以前教習生だった頃までさかのぼらないと経験していないことなので、とても楽しいのだが、その後路上で実際に運転していた時期が長かったこともあって、私はその時についた悪い癖を修正するのに骨を折った。運転技術というのはそう簡単に落ちるものでもなく、坂道発進やS字・クランクなどは訳もなく通過できるのに、癖を押さえ込むことはなかなかできない。私の弱点は停止時にギアをニュートラルに入れてしまうことと、時折セカンドギアで発進してしまうこと、ポンピングブレーキの局面で何度もブレーキを踏んでしまうこと(正しくは2回)だった。それでも運転はできる、というより路上でそうやって運転している人は多いのだが、それだと試験は受からない。教官はよく指導してくれたが、私はいつ弱点が露呈してもおかしくないという不安を拭えないまま、予定していた教習回数をこなし、試験日を迎えた。

2.09.2007

自動車免許の再取得3

はじめて受けた模擬試験で思わぬ高得点(と言っても合格点ではないのだが)をマークした私は数日後、その間何も準備をしないまま再び営業所へ出向き、別の模擬試験を受けたところ、50点満点中の30点台という体たらくで、続けざまにまた別種の試験を受けても30点台という、散々な結果を残した。

やはり油断してはならなかった。実技はともかく筆記試験は、労さえ惜しまなければ合格するものである。無駄な時間と金銭の浪費を避けるべく私は次に模擬試験を受けるまでに教科書を3回読み通した。そしてまた数日後、空いた時間に営業所へ行き、模擬試験を2つ受けると、ようやく2つとも合格点を揃えることができ、教官のおじいさんから「もう免許試験場に行って本番を受けてもいいんじゃないかな」とのお墨付きをもらった。

既述の通り、私が通っている教習所は公認のものではなく、仮免の筆記・実技試験及び本免の筆記・実技試験は公安委員会が管轄する免許試験場で受験することになる。公認とか非公認というのも、公安委員会が公認する(しない)ということであり、そもそも公安委員会とは各自治体知事の所轄下に置かれた、警察を管理するための上部組織なのであるが、実際にその大きな役目の一つである運転免許交付業務は警察に委任されているため、我々が免許を取得する際に様々な場面で対峙する人物というのは結局警察官だということになる。

ある日の朝、私は現在、東京都民なので品川区にある鮫洲運転免許試験所というところに足を運んだ。鮫洲駅から試験場へ向かう道程には幾つもの行政書士事務所や免許試験予備校があり、その社員たちが朝早くから街頭に出て客引きをしていた。試験場の建物は想像外に古びたもので、外国人の比率が高いのには驚かされた。しかも、建物の二階にいる外国人がハイソサエティー風な外観であるのに比べ、私の受験会場である三階には、あまり裕福とはいえない格好の外国人たちがたむろしていた。その高い比率の割に、施設案内の外国語表記は極めて脆弱に見えた。

会場の指定された椅子に座って更に驚いたのは、受験者の数とその内訳であった。その日の午前、仮免の筆記試験を鮫洲で受けるのはたったの5人。2人は黒人で、2人はいかにも不良風な日本人、そして私。前面の黒板には「仮免5 内英語検定2」と書かれていた。どうやら黒人の2人は英語で表記された試験を受けるようだ。そのうちに試験監督が入場して、説明をはじめた。説明の一切は日本語で行われたのだが英語で受験する2人はそれを理解できたのだろうか?

試験がはじまり、私は時間内に回答を終え、会場の外に出て結果発表の時を待った。程なくして日本語で「結果を発表するから、受験者は会場に戻ってください」というアナウンスが流れ、私は"これでは英語圏の彼らには伝わらないだろうから知らせてあげよう"との機転を利かせてあたりを見回したが、彼らは見つからなかった。会場に戻っても彼らはいなかったが、そこで試験監督の警察官に「英語で受験した2人にも伝えてください」と忠告するような機転は、残念ながらその時の私には働かなかった。もし働いていたとしても、結果だけ見ればそれは徒労に終わっていただろう。なぜなら合格者は私だけだったからだ。

私は合格という結果にほっとしたものの、その日朝から眺めてきた光景の数々を思い浮かべて何やら複雑な思いを抱きながら、鮫洲の町を後にした。

2.06.2007

自動車免許の再取得2

私が選んだ教習所は、都内に営業所が数箇所あり、運転コースは営業所とはまた別の場所にあって、そこまでは教習所が用意した無料バスで往復するという形態を取っている。1つ1つの営業所は小さなもので、せいぜい小学校の1教室分ほどのスペースしかない。
雑居ビルの一角に存在するその営業所へ私が入っていくと、そこにいたのは教官然としたおじいさんと若い受付嬢、そして机に向かう2人の中国人だった。

ひととおりの説明を受け契約を交わすと、教官然としたおじいさん(実際に教官なのだが、以降おじいさんと表記する)が「今もう少し時間があるなら、模擬試験を受けてみないか?」と聞いてきたので、私は早速中国人たちと並んで机に向かうこととなった。この教習所では学科授業がない代わりに数種類の模擬試験を無料で何度でも受けることが出来る。何度か受けて間違えた箇所を覚えていくうちに、やがて実際の試験に合格するレベルに達するというやり方だ。

かつて免許を持っていたことがあるといっても、試験を受けたのは10年以上も昔のことで、少しは勉強し直さないと高得点は取れないだろうと思いながら、あまり深く考えることもなく機械的にマークシートを埋めていき、私より随分先に始めていた2人に先だって解答を求める、50点満点で44点。合格には1問正解が足りなかったものの、事前の予測よりは随分とよい結果を得たので、私はこの時点で早々に油断し、まだ車を動かし始めてさえもいないのに"再取得までそう時間もかからないだろう"などとタカをくくっていた。

それでも私は間違えた問題の見直しをその場で行い出すと、中国人たちも試験を終え、おじいさんによる彼らへのレクチャーがはじまったので、私は見直し作業を続けながらも、おじいさんの言うことに耳を傾けずにはいられなかった。おじいさんは「Aさんは知識があるけど日本語を読む力は少し足りない、Bさんは引っ掛け問題を読み解く語学力を持っているけどもっと法律(道路交通法)の勉強をしないとダメだなあ。」などと説明していて、その飄々とした話し方には惹かれるものがあるのだが、この場合Aさんに日本語を教えたりもするのだろうか?とか、日本人でもよく引っ掛かるような免許試験の問題をBさんはよく解くことが出来るな、とか、このおじいさんが言っていることは結局のところ状況説明であって、教官として合格に導くようなことを特にしていないんじゃないのか?とか、色々な事を考えさせられてしまった。

その後私は幾度となく営業所や運転コースに足を運ぶことになるのだが、今のところ中国人の彼らには再会していない。
(注:2007年2月6日現在私は未だに免許取得活動中で、ここにある内容は少し前の出来事を描写したものです。)

(つづく)

2.01.2007

自動車免許の再取得

数年前の短期間内にまとめてスピード違反と駐車禁止行為に及んだ結果、自動車免許取り消し処分を受けた私は、何一つとして資格を持たないという身分のまま青春を謳歌していたものの、その間に何度か「ああ・・今免許があれば」といった体験をしたり、またここ数ヶ月は比較的自由に時間を使えるという状況を得たこともあって、ようやく重い腰を上げ再取得に向けて動き出すことにした。

免許を取り消された話をするとよく「再取得する場合はゼロからのスタートになるのか?」という質問をされるのだが、実はゼロではなくマイナスからのスタートになる。取消処分者講習(2日間、有料)というものがあって、従来の仮免から本免という流れとは別に、必須項目としてこの講習を受けないと再取得することは出来ない。

さて免許を取るぞと決断したところで、自動車免許を取得するまでの道筋を自動車教習所という観点から調べてみると、おおまかに以下の3通りが考えられることがわかった。

・普通に指定自動車教習所へ行く
・非公認の自動車教習所(技能試験を教習所ではなく運転免許試験場で受ける)へ行く
・教習所へ行かず、自力での取得を目指す

細かく言えば、指定教習所へ行くにしても合宿教習か自宅から通うかという選択肢があり、また非公認教習所といっても様々で、例えば特定届出自動車教習所という特定講習を行う資格のある所もあれば、ただ私有地でプライベートに教えるような所もあるようだ。

はじめて免許を取得した10年以上も昔の頃、私はせいぜい合宿免許か通いかという選択肢しか知らず、選択を迷うこともなかったのだが、少しは運転の心得があると自負する今、これだけの選択肢を前に1つの道を選ぶということには数日間頭を悩ませる必要があった。

結局私が選択したのは、非公認の特定届出自動車教習所に入るという道だった。
選んだ理由は、学科授業を受ける必要がなく技能教習も1回ずつの値段設定なので、スムーズにいけば指定教習所より拘束時間も短く経費もかからないというところと、以前免許を取得した際に指定教習所を体験したので、せっかくだから別の経緯を歩んでみたいというちょっとした冒険心からだ。

ともあれ私は、とりあえず取消処分者講習を後回しにして、教習所の門を叩いた。

(つづく)