11.28.2007

自転車旅行 -銚子編- 2

滑川駅から電車に乗ること1時間。銚子に着いたのは夜の8時で、人口減に悩むこの街への第一印象は暗がりの下、うら寂しく感じられるものであった。A君とT君は先に晩飯を済ませていたが、その2人が先に腰を落ち着けた"鮪蔵"という店の閉店時間が迫っていたので、私とO君は取りも直さずタクシーを用いてその店へ直行。着いた周辺には魚料理を食べさせる料理屋が軒を並べ、魚市場らしき大きな建物もあって、駅前と比べてやや活気を漂わせていた。

店に入りO君と乾杯する。程なく出てきた刺身や天麩羅の数々に舌鼓を打つ、期待通りの味だ。特に金目鯛が旨い。自転車を長時間走らせていると本当にお腹が空くので、私は年甲斐もなく丼飯を3杯もおかわりしてしまった。すっかり満足した我々は宿へと歩き、ようやく先に着いていた2人との再会を果たす。しばしの歓談後、既に夜も更けていたのでそれぞれ床に就いた。が、先に噂では聞いていたA君のイビキというのが、想像を遥かに超えた日本代表級の凄まじさで、前夜も寝不足で疲労しているというのになかなか寝付くことができない。最初はイビキのバリエーションが豊かなことに笑いが止まらず眠れない、そのうち慣れてはくるが、あまりの音量の大きさに眠ることができない・・

結局、準備良く耳栓を持参していたT君こそ熟睡できたものの、私とO君はあまり睡眠時間を取れないまま朝を迎えた。まあこれは自転車を置いて電車で来た我々に対する天罰ということなのかもしれない。ともあれ、我々4名は朝食を終えて宿をチェックアウトした。歩いて駅まで向かい、銚子電鉄で犬吠崎へと向かう。

経営難やぬれせんべいの販売、ファンが多いことなど何かと話題の多いこの銚子電鉄であるが、休日ということもあってか車内は乗客でそこそこ埋まっていた。江ノ電のように駅間は短く、狭いところを縫うように走る。そのうちに車窓には畑が広がるようになり、そう時間も経たないうちに終点手前の犬吠駅に到着。駅から犬吠崎灯台までの道程には、やたらと"地球が丸く見える"というキャッチフレーズの広告が目立つ。確かに長く伸びた水平線を眺めていると、それは真っ直ぐではなく丸まって見えるのだ。雄大な海を見やりつつも5分歩くと灯台の下へと来た。150円払って敷地に入る。99段の螺旋急階段を登ると、灯台の上から地球がやはり、丸く見えた。灯台の敷地には他にもちょっとしたミュージアムが併設されていて、安価な入場料にしては内容が充実していた。

その後、駅から見えた巨大な、成金趣味の寺院にも行ってみた。ここに巨額の寄付金を贈った人は石碑を建ててもらえるようで、何十本と建つ石碑の中に寄付5000万円と銘打たれたものがあるのには驚かされた。そんなこんなで昼時を迎え、我々は銚子市街へと戻り昼食をとることにした。銚子駅までは戻らず手前の駅で降り、昨夜訪れた飲食店密集地の辺りへと歩く。ヤマサの大きな工場からは醤油の匂いが強く漂っている。閑散とした町並みを越え目的地に辿り着くと、その通りにだけ大勢の人々が現れ、飲食店の前に列を成していた。これはかなり予想外の出来事で、我々もその中の一店舗にあたりをつけ並んだが、いざ料理を目前にするまでにそれから1時間近くを要した。私は昨夜の味が忘れられず、金目の刺身定食を注文。やはり旨い。いつの間にか我々は、これから自転車で帰宅するというのにも関わらずビールを何本か空け、すっかり気分のいい状態になってしまった。

さて、帰宅である。A君とT君は自転車を分解し袋に入れ、共に家近くの駅まで電車で帰ることにしていた。私は自転車を置いてきた滑河駅で降り、その先を考えなければならない。だんだんと帰りが憂鬱になるも、私は滑川から自転車を1時間ほど走らせ、成田から京成スカイライナーで帰るというルートを憂鬱の中で選択した。銚子駅で50分待って乗った電車は、1時間掛けて滑川に着いた。3人と別れ、自転車をゆっくりとスタートさせる。既に夕暮れ時で、間もなく暗くなった。周辺の民家から発生する焚き火の煙が、自転車に乗った私を直撃し悩ませた。わずか1時間のツーリングながらもすっかり疲弊した状態で私は成田駅へと辿り着いた。早速、自転車を分解し始めるのだが、1年半ぶり2度目のこの作業に手間取る。「ここはこうして・・あれー?」などと独り言を発しながらの分解・袋詰め作業には30分を要し、乗車予定のスカイライナーにはぎりぎりのタイミングで乗れず、そこから45分間、次のスカイライナーを待つことになった。なんとも待ち時間の長い旅であった。

11.26.2007

自転車旅行 -銚子編-

いつの間にやら木枯らしの吹く季節となった。アツい夏の間、結局どこへも冒険に出向くことなく日々を過ごした私の元に、秋も深まった頃合いで友人から「自転車で銚子まで行かないか」というオファーが届いた。

今回は十日町への旅に同行してもらったT君を含む、A君、O君との四人旅である。しかし、四人で併走する姿なども思い浮かべながら臨んだ"打ち合わせ"と称する飲み会(於:アントニオ猪木酒場)の中で、元よりいい加減なこのメンバーでは何も決まることもなく、ただ現地集合ということだけが定められた。従って、各人がルートや出発時間をまちまちに計画立てることになったわけだが、私は一応朝8時出発で千葉県中央部を通っていくということに決めた。

しかし物事は予定通りには運ばないものである。アントニオ猪木氏は「一寸先はハプニング」などという造語をよく用いているが、私の身にも前夜にあるハプニングが降臨し、眠れなくなってしまった。朝7時にセットした目覚まし時計が鳴り、それを一睡もできずに止める。そしてその直後に睡魔が襲い、起きたら10時を過ぎていた。呆然としているところにA君からの電話が入った。「今どこら辺?」と聞かれ、寝坊してまだ在宅している旨を伝えた。彼は電車に自転車を乗せ取手に向かい、下車して既に走り始めているということだった。

天候は良く、ツーリングにはもってこいの日だ。しかし睡眠不足といきなりの予定変更によって、私のモチベーションは大きく下がってしまった。ゆっくりと朝食を食べ、コーヒーをおかわりしているうちに正午を過ぎる。他のメンバーはどうしているのかと思いO君の動向に探りを入れると、彼もまたモチベーションが低下しているようでまだ家にいるということがわかる。ここで相乗効果が発生し、益々私の足取りは重くなる。こうしてアントニオ氏の言うような「迷わず行けよ、行けばわかるさ」というわけにはいかなくなり、迷い抜いた挙句、結局1時頃ようやくスタートすることになった。

明治通りから国道6号を走って松戸に至る。道は自動車で混み合い、側道も狭く危険を感じ主に歩道を走ったため、思うように距離が稼げず疲労も普段より蓄積する。6号線から逸れて松戸市内を抜け、北総開発鉄道沿いの国道に入るとようやく走り易くなり、スピードを上げてぐいぐいと進む。だが既に3時を過ぎ、早くも夕暮れ時に差し掛かっている。銚子まで完走するのは無理だということはスタートが遅れた時点でわかっていたが、そろそろ目的地を定めないといけない。私は白井駅付近で休憩がてらにラーメンをすすりながら地図を広げ、成田という選択肢と利根川沿いまで行くという選択肢の間で悩んだ。成田であれば、特急電車も停まるだろうし自転車を乗り捨てた後銚子まで行くルートに広がりを持たせられる、しかし利根川沿いの自転車道を少しでも走ってみたい。私は少し不安を抱きながらも、利根川沿いまで北上することを選んだ。まあ、行けばわかるさ。

北総開発鉄道沿いの道に別れを告げ、北上ルートを辿って利根川へ。日は沈み、時計の針は5時を回っていた。満月を進行方向に仰ぎながら、暗がりの土手上にある自転車道に合流する。左手には河口まで70キロ近くもあるのに、早くも雄大な佇まいを誇示する利根の流れが蛇行している。幻想的な光景であった。私は20キロほど先にある滑川という駅を終着の地と定め、ラストスパートを開始した。T君から連絡があり、A君と共に銚子に着いているということと、O君の所在が不明であるということを聞いた。

6時過ぎ、滑川駅着。ちょうど5時間のサイクリングだった。ここから銚子駅までは電車で1時間ぐらいのはずである。が、時刻表を見ると、なんと次の電車まで50分待たなくてはならないことが判明した。そこで待ち時間を使って、私はO君の所在を確かめることにした。携帯電話からメールを送ると程なくして返事が来た。彼は私より更に2時間も迷っていたようで、3時にようやく出発。東京から千葉駅まで自転車を漕いで、そこから電車で銚子に向かっているとのことであった。その後長いこと待たされてようやく滑河駅に到着した銚子行きの電車には、偶然そのO君が乗っていて、二人とも同じ電車で銚子へ向かうという、なんともしまらない顛末で往路を終えたのである。

(続く)

11.12.2007

MP3 PLAYERと、私

相も変わらず自転車に乗り続けている私だが、少し遠くへ行く際にはipodのお世話になるという癖がついてしまった。元々私はipodになぞ興味がないどころか、アンチを貫いていたにも関わらず・・

何故私がipod(というより、携帯型の音楽再生機全般)を問題視していたのかというと、それがユーザーの自己愛と鈍感力を助長しているとしか思えなかったからだ。電車に乗っていても、疲労感を顕わにした老人がヨボヨボと立っているその前に、どっかりと股を広げて腰掛けている若者の耳にイヤホンが突き刺さっている姿は今や日常茶飯事の如く目に入る光景である。この若者は多分、自分で選び抜いた音楽の世界に入ってしまって、目の前で座りたそうにしている人がいるということに気がついていないんだと思う。

また、ニューヨークのような格好いい都会にはじめて出かけたとしよう。空港へ降り立ち出国手続きを終え、地下鉄に乗ってマンハッタンへいざ行かんとする若者の耳にはやはり、イヤホンから流れる「自分のフェイバリットソングス・NYCバージョン」が鳴り響いているのではないか。少なからず存在するであろうそういった人たちについて私は、もったいないと思わずにはいられないのだ。見聞という言葉があるけど、はじめての場所で街の音から耳を閉ざしていては、半分(つまり見聞の、見)しか世界が広がらないではないか。そんなに自分の世界を守って、愛してどうするんだよ・・

なんていう持論を抱えた私に、とある知人がタイ土産という名目で小さなipodをプレゼントしてくれた。何故タイの土産がipodなのかは全くもって謎に包まれているのだが、一応タイっぽいイメージのゴールドカラーであったことを記しておこう。兎に角、期せずしてipodを所有することになってしまったのである。

いくら頂いたからといっても、そんなに嫌いならば放っておけば済む話なのだが、私はipod(シャッフルとかいう機種です)の余りの小ささに心を奪われてしまった。元来音楽好きで、またPCではiTunesをプレイヤーソフトとして使用していたせいか、この小さな機械にお気に入りの音楽を詰め込み、街へ出て行くまでにそう時間はかからなかった。最初は「自転車に乗るときは危ないから止めよう」と思っていたものだが、一度それを試すと、疲労が半減するような気がした。その効果を理由に自転車外出の際、ipodが手放せなくなってしまったのである。

こうして、晴れて自己愛の囚人と化した私は今日(正確に言えば昨日)も所用をこなしに台東区から板橋区へと、音楽を聴きながら自転車を走らせた。用を済ませ、外していたipodを再び装着して外に出ると雨が降っていたが、それでもイヤホンをつけたまま台東区へと戻る。道中、雨は徐々に激しさを増し、自転車のスピードも鈍る。が、流れてくる音楽に勇気付けられつつなんとか台東区へ入り、家の近所までたどり着いた。目の前に迫る信号は変わらず青のままで、私は右折すべく体を傾けた。右折した先に、車線を逆走してきた自転車2台が突然視界に現れた。急ブレーキをかけてハイドロプレーン現象を起こした私の愛車は大きく傾き、とっさに伸ばした右足でなんとか転倒を防いだ私の体は、気がつけばサドルから降りて車道に立ち尽くしていた。何の挨拶もなく2台の対向車は遠くへ過ぎ去り、私は呆然としたまま左手でかろうじて自転車のハンドルを握り締め、右耳からはイヤホンが抜け落ちていた。

雨で視界不良の中、聴覚を自ら塞いでいた私の落ち度であった。