7.24.2007

PC同時多発クラッシュ顛末記

7月某日、某所で私が他者と共有しているPCのOSが起動しなくなった。原因はサービスパックのアップグレードがうまくいかず、2種類のOSが変な具合に混合してしまったためと思われる。OSメーカーのせいにしたいところだが、アップグレード作業を行ったのは私なので、PCを共有する他者の暖かい理解と協力を得ながら、またIT関係に詳しい友人の知恵を拝借しながら復旧作業に取り組んだ。

まずは友人の好意により頂いたOSメーカーの有料サービスチケットを元にメーカーへ電話連絡。なかなかつながらずもようやく出た先方は、症状を一通り聞いた後でにべもなく「PC本体のメーカーに問い合わせて、それでも直らなければ再度連絡してください」と言う。言っていることに筋は通っているし理解はできるが、こうした問い合わせをしてくる者の状況や心理をもう少し酌んでくれないものかな、と思う。気を取り直してPCメーカーに連絡。この電話もなかなかつながらなかったのだが、出てきた人のガイドに従い色々と調べていくうちに、やはりハードディスクの障害はなくOSに問題があるということがわかり、こちらでは「OSを再インストールするしかないですね」という、ある結論を導いていただいた。

そんなこんなで、緊急に使用する必要があるというほどではなかったためPCの回復作業を次週以降に持ち越し、週末実家に戻ると、もう8年も使っている実家のPCが起動しなくなっていた。これはもうなんとも原因不明というか、寿命というか、特に大切なデータはバックアップを取っていて、またPCの故障復旧にはげんなりしていたこともあって、その時私はあっさりと"回復不可能"という烙印を押した。

そして東京の自宅に戻り、自分のノートPCを開いてスイッチを押すと、なんとこれまた立ち上がらないのだ。いったいこの異常事態をどう説明したら良いのか、私の手先から邪悪な電流でも流れているのだろうか・・触るPCが皆傷ついていくという現象に私は恐れをなした。PCを使用し始めてから約10年、今までこういったトラブルとは無縁できたのだが、数日間で一気に3台も使用不能状態になるとは。

週が明けると、私は必然的に複数のトラブルを解決するために奔走することになった。まずは共有しているPCの復旧である。困ったことにこのPCと私のプライベートPCに関しては、ハードディスクからデータを抽出する必要があった。私は再度OSメーカーに問い合わせると、この時の担当は何とも親切でプロフェッショナルな人であった。電話を片手に2時間強もの間、彼は声色に疲れ一つ見せず、それどころか私の疲れを敏感に察知しねぎらいの言葉をかけながらもナビゲートしてくださった。CDからの起動もなかなかままならず、DOSの画面からコマンドを打ち続けなんとか起動に成功。バックアップデータを取得し、OSの再インストールで復旧ができるところまでこぎつけた。

大きな問題を抱えていたのは、自分のノートPCであった。こちらはハードディスクに障害を持ってしまったようで、電話サポートではにっちもさっちもいかないよ、と思わせる趣きを湛えていた。私は彼女が使用しているMACを、「これも壊すんじゃないか?」などと恐れつつも使用させてもらいインターネット上を検索。秋葉原のとある会社にあたりを付け、データの復旧作業をお願いすることにした(彼女のMACは幸いにして無事である)。現在データは外付けのハードディスクに保管され戻ってきたものの、ハードディスクは取替える必要があり、OSや各種ソフトも購入しなければならないという状態なので、この際新たにPCを購入したほうがいいのかもしれないと思案しているところ(姉妹サイトである「世界の風景(仮)」は、この問題を解決次第再開します)。

共有PCはその後、OSの再インストール時に私の無知から紆余曲折を招いたものの、復帰を果たした。最も不思議であったのは実家にある古PCで、翌週末に何気なくスイッチを押したところ、何事もなかったかのように起動したのだった。前の週にあのタイミングで起動しなかったのは、何かの嫌がらせとしか思えないような出来事だ。PCだって人間のようにベテランにもなると、一筋縄ではいかないものなのかな。

7.12.2007

自転車旅行 -十日町編- 2

3日目の朝、熟睡から目覚めたらいよいよ脚が上がらなくなっていた。昨日までに肩と、臀部の痛みは発症していたのだが、いよいよ本命がやってきたという感じだ。

昨日自転車の大クラッシュにより負傷した友人は、どうやら旅を続行する気である。途中で「輪行バッグ」なるものを買って、自転車をそのバッグへ入れて電車に乗って追いかけるということだ。輪行とは自転車界ではメジャーな用語であるらしいのだが、私はその時初めて耳にした言葉であった。自転車を別の交通手段に積載して、自らもその交通手段を用いて目的地まで行くような意味なのであるが、例えばJRでは裸で自転車を電車に載せるわけにはいかず、分解して袋に入れて載せることが義務付けられている。そのための袋が輪行バッグというわけだ。これは後々使いそうだと思ったので、私の分もバッグを購入してもらうよう友人にはお願いした。

この日は山越えである。東京から沼田までの道程においては、沼田付近に到るまで特に目立つ坂道などなかったのだが、昨日の夕刻ごろ走った沼田周辺では素人には厳しい登り坂と、それに続く長い下り坂が待ち受けていた。快晴の朝、猛暑の中ノロノロと私はペダルを漕ぎ始めたが、脚が思うように回らない。6段変速ギアの中で、昨日までは6速を使っていたような平坦な所でも3か4速しか使えず、3速で登っていたような坂では1速しか使えないような体たらくだ。

しばらく走ると、三国峠という本格的な山道に差し掛かった。山道と言っても自動車用のもので、しっかりと舗装されたものなのだが、歩道はほとんどなく、側道も狭いので自転車にとっては非常に危険な場所だ。1速で少し進み、やがて自転車を降りて押して歩くという行為を繰り返す。そのうち全く自転車にまたがらなくなり、ひたすら押して歩くようになる。周囲は完全に森の中で、携帯電話のアンテナも立たない。太陽は道路を容赦なく照りつける。だんだんと、私は何でこんなことをやっているのだろうか?という気になり、更にはシジフォスの神話であるかのごとく、私はこの不条理をあるがままに受け入れるようになる。私は、下るためにこの厳しい上り坂を歩いている。そして下り坂は、その後また上るために存在しているに過ぎない。その繰り返しなのだ、と。

ふと気がつくと、トンネルの入口が見えてきた。その先は新潟県だと表記もされている。どうやら登るのはここまでということらしいが、いったいどれぐらいの時間が経ったのであろうと思って時計を見ると、まだ正午を過ぎたぐらいのところを針は指していた。永遠にも感じられた時間は、たったの3時間弱だったのである。これには拍子抜けした。ここから先の長い下り道は実に痛快なものであった。まさに上り坂は、下り坂を走るためのものであることが再確認されたわけであるが、その意味合いは先程までのシジフォス的無感情なものではなく、大変前向きなものへと変化を遂げていた。苗場のあたりで友人からの連絡が入り、越後湯沢駅で待っているとのことであった。その後上り坂があり、再び地獄へ落とされたかのようなショックを受けたものの、その坂は大したものではなく、また長い下りが続き、平地へ降りるとすぐそこに越後湯沢駅があった。

越後湯沢から十日町まではまた大きな峠を登って降りる必要があるのだが、私は友人と会い、1も2もなくここから十日町までは輪行しようということになる。電車を使ってシジフォスの輪廻から脱却しようというわけだ。はじめての輪行である。近所のレンタカー事務所からレンチを借り、自転車を分解し袋に詰める。慣れないのもあって30分ほどかかった。この先私たちは電車に乗り、何泊かした十日町でも濃厚な時を過ごしたのだが、自転車旅行としてのハイライトはまさにここに綴った3日間であり、その後の経過は省略する。この旅によって体重が5キロも落ちた私も大変なことは大変だったが、不慮の事故によって怪我まで負った友人のその後の奮闘振りには今でも頭が下がる思いだ。

ここまで、去年の思い出話が長くなってしまったのだが、先日その友人を含む4名で落ち合い、馬鹿な話に興じていたところ、「今年も自転車でどこかへ行こう」ということで盛り上がり、皆で場所を検討しあったのであった。遠出初体験の新潟行きを超えたインパクトのある、非日常体験をするのは容易ではないかもしれないが、一度このような無謀な冒険を行ってしまうと、その再現を夢想したり調査したりするという時間が発生し、それ自体がまた非日常的で楽しいものなのだと今、感じている。

7.09.2007

自転車旅行 -十日町編-

今年もアツい夏が到来した。

内輪話から始まり恐縮なのだが、去年の今頃だろうか、仲間内の一部で「アツい夏」という言葉がキーワードとなった。その先鞭をつけたのはおそらく私が突発的に「自転車で東京から新潟県まで行ってくる」と発表したからである。私が乗っている自転車は近所のスーパーで購入したシボレー製のモトクロス風バイクで、とても遠出に適しているとは言えず、また自転車に責任転嫁するまでもなく、私自身が普段から特に体を鍛えてもいず、自転車を趣味として乗り回しているわけでもなかった。つまり無謀な企みだったのである。

しかし私には幸いにも、この発表を受けて賛同し、共だってくれる友人が存在した。私はその彼とスケジュールをすり合わせつつも、同時に出発することが難しそうな状況であったため、去年の8月某日夜に自宅のある東京を離れた。何故夜に出発したかというと、真夏の日差しを少しでも避けるという狙いと、目的地である新潟県十日町市までの距離やどこに宿泊地を設定するか、私が1日にどの程度の距離を走れるかなどを想定した結果、導き出された判断なのであるが、1日にどれほど動けるかなんてことは、今までに一度も自転車で遠出をしたことがない者にとって計算のたつものではない。結局のところ、直感で決めたわけだ。

初日の夜は3時間程度走り、大宮の先にある街道沿いの漫画喫茶で休止し一夜を明かした。しかし士気が高揚してしまいなかなか寝付けず、ほとんど徹夜に近い状態のまま次の日を迎えた。友人はこの日、千葉県の自宅から私を追いかけてくることになっていた。

2日目、どこまでも平坦(に見えるが、おそらく緩やかな登り傾斜なのであろう)な埼玉県を走る。ほぼ徹夜明けの体にも関わらず快調に時速20キロ平均で飛ばしていく。「マルホランド・ドライブ」という映画で、デビッド・リンチはマルホランド・ドライブと書かれた道路標識がゆっくりと流れていく車窓を何カットか効果的に使用しているのだが、20キロで走る自転車から見た"高崎まで何キロ"なんていう標識の移ろいはまさに、そのカットの臨場感を再現しているかのようだった。自転車を走らせて得る爽快さと、徹夜明けの気だるさ、それにそろそろ気になりだした荷を背負う肩の痛みを複合的に感じながら、昼過ぎには群馬県に入る。気のせいか、急に道が良くなったような印象を受ける。ここまで内地へ来ても、利根川が大河の趣きを残していることに、やはり隅田川や多摩川とは格が違うなと感じ入る。

と、至極順調なサイクリングを遂行していた私に衝撃的な一報が届けられたのは、私が高崎・前橋と過ぎ渋川付近の街道沿いにあった温泉で休憩している最中であった。昼を越え、夕方に差しかかろうという時である。私を追いかけていた友人の自転車が、走行中にいきなり前輪を外し、バランスを失った友人は顔面から道路に突っ込んで負傷したというのだ。電話から聞こえる友人の声は比較的平静なものであると理解したが、その友人は元々、相当に肝の据わった性質なので、怪我の具合やツーリング続行の可能性が今ひとつ判断できない。私は気の利いた台詞を言うこともままならず報告を受け、とりあえず出発。沼田にある温泉施設のカプセルルームに投宿した。

(長くなりましたので続編を設けることにします)