1.09.2008

引越し

半年に渡って都内の2箇所を彷徨う生活を送っていたが、遂にこの1月いっぱいで元々暮らしていた浅草近くのマンションを明け渡すことになった。多忙を極める連れ合いの荷をあわせ2人分の諸物を梱包しなければならないのだが、私とて諸々の雑事をこなしながらの荷造りとなるわけで、作業は遅々として進まない。大丈夫かな?

ところで"引越し"とタイトルを銘打ったものの、ここでは2年間を過ごした浅草近辺への郷愁を込めて、私が複数回お世話になった飲食店の中から幾つかのお店をピックアップして紹介したいと思う。国際的な観光地のそばで暮らすというのは、なかなか刺激的な体験だった。3軒隣のホテル前にはよく観光バスが停泊していたし、各国のバックパッカーたちとは毎日のようにすれ違った。下町の一軒家の軒下で育まれる植物にも日々目を奪われた。しかし何と言っても、飲食店が充実しているというのが魅力で、その中でも観光客ではなく地元の人が通っているようなさりげない名店に私は心を惹かれた。ここでは、そんなお店について書きます。

・角蔓(蕎麦)
"上野藪蕎麦""並木藪蕎麦"など蕎麦の名店には事欠かない地域だが、ここでは吉原の入口に位置する角蔓を推したい。入る客はほぼ皆、暖簾をくぐるなり「ひやにくだい(冷肉大、冷えた肉蕎麦大盛りの意)」などとぶっきらぼうにオーダーを伝え、さっと食ってさっと帰る。まあこれが下町の粋ってやつなのだろう。江戸時代から続くこの店の蕎麦はワイルドそのもの。極太で長さも不安定、量も多め。トッピングの肉やら葱やらもドカンと盛られている。しかしこれが絶妙に旨い。何百年も前の色男がここでさりげなく蕎麦をすすってスタミナを蓄え、花街へ消えていく・・そういった情景を偲ぶことができる店だ。そういえば蕎麦屋といえば稲荷町から田原町へ移った"おざわ"というお店も、こちらは正統派ながらかなりの名店です。

・SUN(喫茶店)
鶯谷と入谷の間にある、目立たぬ喫茶店。私がこの店を知ったのは某雑誌の東京パスタ特集で、ここの納豆スパゲッティーが紹介されていたからなのであるが、行ってみると本当に雑誌で紹介されたのかという疑問が湧くような、地域密着型の見かけ平凡な喫茶店だった。今月のセットメニューに納豆スパゲッティーが入るまで納豆スパゲッティーをオーダーせずに何度か通ったのは、セットメニューが安いからというけち臭い理由のみならず、他のメニューもヴァリュアブルで、比較的浅煎りのコーヒーも美味しかったからなのであるが、何度目かにして初めて食べた納豆スパゲッティーはバターの味が利いた、雑誌に紹介されるだけのことはあると唸らせるものであった。

・あづま(中華料理)
浅草のすしや通りにある一見ひなびた中華料理屋(だが、割と有名らしい)。"純レバー丼"という看板が目を惹くが、このメニューはこの界隈ではしばしば目にするものである。私はここの店でしか純レバー丼を食べたことがないので他所との比較はできないが、とても美味しいものだった。この店では他にDX(デラックス)ラーメンというメニューが普通のラーメンと独立して存在していて、これも平凡な外見と裏腹になかなか味わい深い一品だった。が、普通のラーメンをここで食べたことがないのでこれまた比較ができない。ちなみに、ここには大して旨くないメニューが地雷のように幾つか存在する。そういったものを経験し、乗り越えていくのもまた下町裏グルメの楽しさなのではないかと思う。

他にも、オマージュ(フランス料理、浅草外れのとても不便な場所にあるが呆れるほど安くて旨い)や、初音茶屋(甘味、浅草ひさご通り沿いに所在するこの店より繊細なカキ氷を私は知らない)など、私が感銘を受けたさりげない名店は枚挙に暇がないほどこの地には存在する。だがしかし、こういった裏の名店というものは表の名店とは違って、どこにでも存在しえるものであろう。引越し先について、そこで育った連れ合いは愛憎を込めて「世界で最も平凡な場所」というような表現をした。私はそこまで平凡だとも思っていないが、もしそうだとしても、世界一というのは何にせよ大したものだし、そこからインスパイアされることというのは大きいんじゃないかと、むしろ期待を寄せている次第である。そこには感銘を受けるような名店もおそらく幾つか存在するだろうし、そういったお店を幾つかモノにしたら、またこの場で発表させてもらおうと思っている。