8.11.2007

打楽器の調べ(あるいは、その周辺)

友人Oが運営に関わっているという打楽器中心のコンサートを見に、また新潟県の十日町まで行ってきた。今年は自転車でなく自動車で赴いた。実は去年自転車で当地を訪れた際にも滞在期間中に"世界太鼓フェスティバル"というコンサートを見ていて、見るだけでなく会場の設営や撤収の手伝いまでしたのであるが、この度見たコンサートの出演者は"世界太鼓フェスティバル"にも出ていた音太鼓座(おんでこざ)とPURIの2組。更に言うと、今年も運営のお手伝いをしたので、焼き直しのような体験をしたとも表現できそうだが・・

私を含めた今回のコンサートを手伝う人数名を乗せた車が現地の宿舎に到着したのは夜の12時頃だった。利口な人はここで明日に備えて眠りにつくのだが、馬鹿な私と友人O、そして馬鹿ではないが好奇心旺盛な同行者の一部がビールを片手に宿の外にあるオープンデッキへ足を運ぶと、先客2名が既に酩酊した状態で会話を繰り広げていた。一人は数日前からここでボランティアとして生活しているという青年、もう一人は60歳前後の紳士で、コンサートに出演するアーティストのマネージメントをしている会社の社長ということだった。2人のオープンな雰囲気にのまれ、合流した我々は酒を振舞われつつもとりとめもなく話を続け気付いたら時計の針は4時を回っていた。ここでまだ飲んでいる先客の2人を残して我々は退散。僅かばかりの睡眠を取った。

2時間程度休息した後、早朝から我々はコンサート当日の行動を開始した。とはいえ、当初の予想以上にコンサートの準備はこの時点で完成していたため、座席を整えた後、私はOと共に会場近くの駅前にチケットブースを開き、イベントの告知を兼ねてチケット販売を行うことになった。10時ごろから販売を開始。しかし駅前といえど、そこは田舎なのでまず人通り自体がほとんどない。そう、ここは山と林と棚田に囲まれた静かな田舎町なのである。途中チケット販売を別のコンビに交代してもらったが、17時までブースを開いて全体で売れたチケットはなんと1枚のみであった。

それでも前売りで相当量売れていたらしく、屋外にある会場は開演時間が迫るにつれ徐々に埋まっていった。開演の頃にはほぼスペースが埋まっていたように思う。私はビデオ撮影による記録係を任ぜられていたのでスタンバイしたところ、プロのカメラマンが何人か入っていたので、彼らに遠慮して周辺からの撮影に徹することにした。しかしこれが私の体力を大きく消耗させる要因になった。三脚を持って様々な場所を彷徨いながらの撮影、下手糞ながらも元来撮影好きであるため、朦朧としながらも夢中になってファインダーを覗く。そんなこんなでコンサートが終わったときに私は倒れそうになっていた。

音楽自体は大変聴き応えのあるものであった。"世界太鼓フェスティバル"を見たときから密かに注目していたPURIは、去年より難易度を下げた演目に終始した感もあったが、それでも独特の、様々な拍子をコンパイルした不思議な音を鳴らし、音太鼓座は相変わらずの迫力あふれる演奏に加え、剣玉によるパフォーマンスなどで観客を魅了していた。撮影なんかしていなかったらおそらく、打楽器のリズムが遠く棚田の方にまで沁み伝わっていくような幻想的な感覚を味わえることができただろうが、私はむしろカメラを通した狭い視点から見ていたせいか、狭い屋内で演奏を聞いているような感覚になってしまったのが残念といえば残念だ。

宴は終わり、会場の撤収作業の後軽い食事を取ると、もう夜の12時近くになっていた。私は宿に戻りすぐにベッドへ入ったのだが、何故か3時前には起きてしまった。仕方がないので前夜と同じくオープンデッキに足を運ぶと、なんとまたボランティアの青年と社長が酒を飲んでいるではないか。この人たちは一体いつ寝ているのだろうか?私は唖然としながら、そこからまた6時ぐらいまで彼らの酒に付き合うことにした。思えば昨年も、十日町に到着後の日々は夜な夜な酒を囲み語らい寝ないというものであったので、やはり前述の通りある意味コピー体験となったのであるが、しかしどうして毎度こんなにも無茶なことをして体がもつのだろうか。

あくる日東京へ帰る車中で、同行者の一人がふと(この人は連日夜明けまで酒席にいたわけではないのだが、それでも大して眠れなかったらしい)「あまり眠れなくても、こういう空気の澄んだ場所だと眠りが深くなるのか、日中も起きていられるのよね」というようなことを洩らした。それは実に腑に落ちる言葉で、私はああなるほどと思い、東京に着いた途端に吸った空気のまずさが急に気になるようになった。