10.07.2008

自転車日本一周? -1、東京から熱海-

去年の今頃だったと思うが、私は東京から実家のある藤沢までボロ自転車を漕いで帰った。その前には新潟県の十日町まで行ったこともあり、その後も銚子へと向かったことがある。こうやって書くと実にたくましく、遠距離を乗り回している自転車野郎のような印象を与えてしまいそうだが、実のところそれ以外には遠距離自転車旅をしたことがないし、メンテナンス等の知識もほとんどない。

そんな私だが、普段からたしなんでいるフットサルやサッカーの場において、最近めっきりと運動量が落ちているのをぼんやりと自覚していた。元々大したテクニックなどを持たない私だが、多少は優れていると思っていた体力に陰りを見せたとあってはプレイヤーとして致命傷である。これはいかんな・・と思っていた矢先に、フットサルのない週末が訪れたので、私はふと思い立って、トレーニングがてらに1年ぶりで実家へと自転車を走らせることにした。2008年10月4日、夕方4時過ぎに板橋の家を出発。

まずは山手通りを渋谷付近まで南下。この通りは相変わらず工事と区画整理を続けているが、おかげで元車道だったような区画が、暫定的に歩道化していて走りやすい。ロードレーサーでもクロスバイクでもない、なんちゃってモトクロス・タイプの我が愛車は、ママチャリに毛の生えたような性能しか持ち合わせていないが、その"毛の生えた"程度のアドバンテージは悪路の走行性にあって、ちょっと混んでいるような都会で車道と歩道を気ままにチェンジしながら道筋を選んでいく分には都合がいい。


(延々と工事を続ける山手通り、車道に見える中央の道は歩道なんです)

国道246号線を西に走り、多摩川を渡って神奈川県に入ると、既に日は落ちて夜道となっていた。一年前はこのまま246号線を走り続けたのだが今回は多摩川沿いのサイクリングロードを下ることにする。これはなかなか爽快な体験であった。暗がりの中、時折すれ違うサイクリング愛好家たちに一方的な同胞感を抱いたりしながら丸子橋のあたりで、泣く泣く一般道へ。そこからは綱島街道、そして菊名付近から環状2号を通り、東戸塚へと進む。比較的走りやすい道筋ではあったが、環状2号は細かなアップダウンが続き閉口した。

東戸塚からは国道1号を、既にへばった体にムチを入れて走り、なんとか10時前に実家へと到着。ネコと祖母が出迎えてくれたが、母親の姿がない。聞けば「2泊3日で甲州街道をウォーキングしている」とのことだった。母もまた、冒険していたのね・・

ところで、例えばgoogleなどで"自転車 日本一周"などと検索してみると、いろんな人の旅行記がヒットする。私はそういった旅行記を読むのが好きで、よく"世界中の地名"と"自転車"といったキーワードを組み合わせて検索し、旅人の足跡を眺めては妄想に耽ったりするのだが、今回自転車を漕ぎながら「自分にも日本一周ができるのではないか?一気にやるのはいろんな意味で到底無理な話だとしても、休日に各地をちょこちょこと走って、その合計でぐるりと日本中を回るというのは可能だろう」などと考えてしまった。いわば、新たなライフワークというわけだ。一気に心が盛り上がってきた馬鹿な私は、とりあえず次の日にできるところまで西へ向かうことにした。

10月5日、いきなり寝坊した私は11時過ぎにようやく藤沢の実家を出発。海沿いの国道134号を少し走ったところで、更に海岸線沿いに自転車道があるのを発見。やがてこの道を走っていて、ある事に気付く。

「この道、中学校のマラソン大会で走った道じゃないか!」
そう。この道は、いつか来た道だった。ちなみにそのマラソン大会で私は9位入賞し賞状を貰った。あの頃は体力、あったなあ・・私と同じように学業成績が低迷し、そのせいかアイデンティティーをマラソンで優勝することに求めていた(そして、見事に優勝していた)K君は今、どうしているのだろうか?


(茅ヶ崎の自転車道、車両止めが烏帽子岩の形をしています)

自転車道は茅ヶ崎で終わり、平塚を越え、大磯へ。この辺りで134号は1号と合流する。1号を少し行ったところで私は、ふと脇に"太平洋自転車道入口"と書かれた看板があるのを目にした。反射的に左へ曲がり、その自転車道へと突入。そこは、有料道路・西湘バイパスの脇を通るルートだった。まさに海岸線沿いに伸びていた藤沢・茅ヶ崎付近の自転車道ほどには気持ちのいい道というわけでないけれど、信号もないし、自転車道なので走りやすい。こんな道が太平洋沿いに伸びていれば、日本一周も案外楽だろうなあ。しかし2キロほど走ったところで、その道(と私の楽観)はプツッと途切れる。続きを探したが見当たらない。なんとも中途半端な道路なのであった。


(短くも儚い太平洋自転車道、ちょっと名前負けでは?)

気を取り直して再び1号線を走る。小田原の市街が近づいてくると、この街道沿いも旧家に蔵といった風情のある景色が見えてくる。市街地に建つ小田原城への到着時刻は、午後1時半ぐらいだったろうか。ここまで2時間少々の道程だったが、起伏もなく、道も走りやすく、景色も良くと三拍子揃った大満足のサイクリング内容だ。私は一旦自転車を降りて、城内の公園を散策した。ここは幼少の頃、祖父に連れられて来た記憶がおぼろげに存在するのだが、ほとんどはじめてと言ってもいい場所だ。園内ではニホンザルやゾウが飼われていた。このゾウは非常にチャーミングなゾウだった。


(小田原のゾウ、優しい眼をしている)

一通り園内を散策し、さてそろそろ昼食でもと思ったが、私は店を探しつつ、とりあえず熱海方面へと出発することにした。この時点で伊豆方面には行かず、箱根へと向かう選択肢もあったのだが、一応日本一周を視野に入れている以上、伊豆半島ぐらい大きな半島を無視するわけにもいくまい。それに箱根越えは辛そうだし、伊豆は楽しそうだ。しかしその選択はあまり正しくはなかったのかもしれない。小田原市街を出て国道135号に出ると、ほどなくして歩道はなくなり、側道もほとんど存在しないという自動車のことしか考えてないような道が続いていた。おまけに交通量も多い。わたしはちょっとビビりながらも、ゆっくりと足を進めた。根府川の手前に「浜屋」という食事処があり、ここで昼食をいただくことにした。もう3時前である。この店の2階には屋外デッキがあり、相模湾の景色を堪能しながら私は1500円の刺身定食と、いわしバーグなる特産品を味わった。このいわしバーグは美味で、帰りがけにもお土産として購入した。愛想のいい店の若者に「自転車ですよね?今日はどちらまでですか?」と聞かれたので、あまり終着点のことを考えていなかった私は少し考えて「熱海までで、その後電車で東京に帰ります」と答えた。この瞬間に今日の目的地が決定した。


(浜屋から見た135号、側道がほとんどなく自転車には危険)

3時過ぎに浜屋を出ると、程なくして有料道路・真鶴道路と135号の分岐が出現した。自転車の私は当然135号の方へと進んだのだが、その行く手には延々と上り坂が続いていた。地図を見るとほぼ海沿いを進むこの道だが、この辺りは陸地がすぐ崖になっていて、僅かな平地は真鶴道路が占めているため坂を上っていかないと熱海には到達できないのだ。私はヒーヒー言いながら上り坂を漕ぎ、やがて自転車を降りて押し、頂上からはパラダイスのような下り坂を飛ばし、そしてまた真鶴から上り坂を漕ぎ、自転車を押し、2度目の頂上から2ndパラダイスを堪能した。辺りの崖地はずっと、みかん畑だったと思うが、もう景色を楽しんでいる余裕はなかった。2度目の幸福な時間を終えると、道路標識にやおら"熱海駅"という表示が出てきて、あっさりと駅に到着した。夕方の5時ごろであった。

伊豆の地形は想像する限り、この小田原から熱海までのようなものの延長であろう。日本一周を夢想した私は早くも、行く先の険しさにげんなりとしながらも、去年から検討し続けてきた新車の購入について思いを巡らせながら、帰路についた。

続く(のか?)

ALPSLAB routeで表示する今回のルートはこちら↓

東京-藤沢
藤沢-熱海

10.03.2008

変わるものと変わらぬもの

日曜の夜、家族が大河ドラマの「篤姫」を欠かさず見ているので、私も付き合ってだいたい見ている。そして、良くできているなあと基本的には感心する一方で何か心に引っかかる物足りなさをいつも覚えるのだ。その正体は何だろう?

といったところで過日(1ヶ月ほど前だが)、久しぶりに映画を見てきた。ケン・ローチの最新作「この自由な世界で」である。物足りなさの欠片もない、というよりもむしろ、見た者の心をシリアスな空気で破裂させるかのような充実したドラマがそこにはあった。以下ネタバレ多少あり。

舞台は現代、ヨーロッパ、英国。好景気を謳歌するこの国には多くの移民労働者が移り住む。主人公のシングルマザーはポーランド等からこういった移民労働者を英国に斡旋するエージェントの一員として働くがトラブルにあってクビになる。バイタリティー溢れる主人公は自らエージェントを立ち上げ、英国内でくすぶっている移民労働者たちに職を紹介しはじめるが、ぎりぎりの資金繰りで続けるうちに、やがて法に触れた行為に手を出すようになる・・といったストーリーが展開される。まさしく、自由主義経済の下での現代的な課題に正面から向き合った映画だ。タイトル(「it's a free world」、邦題はほぼ直訳ですね)もまた秀逸である。

ここで描かれる世界は主に、移民労働者からの搾取という極めてリアルな問題を提示しているのだが、私が思うにこのドラマへリアリティーをもたらす要因は、緻密な取材を繰り返して構成していったことを想起させるその舞台設定やストーリーの大枠のみならず、主人公とその友人が繰り広げる心模様とその行為の描写にあるのではないか。新たな移民ではない、元来英国市民である彼女たちもまた、エッジの上を歩くような状況下でハメを外したり、真剣になったり、より困っている者へ施しを与えたり、地獄へ突き落としたりする。そういった彼女たちへ映画を見る者は、同情こそすれど支持することも憎むこともできないだろう。映画を見終えた観客はよりマクロな視点で、現代が抱える問題について考えることになるのだ。

と「この自由な世界で」を見た後しばらく、私もマクロな感じで諸問題を考察したりしていたのだが、そんな中でふと、「篤姫」は何故少しばかり物足りないのかというミクロな事象について解答を得たような気がした。「篤姫」の登場人物は主人公である姫を除いてほとんど皆、ドラマの中ではじめに持たされた信条をほぼ変えないのである。姫は様々な人物に出会い、その信条に触れ、ほう・・そういう考え方もあるのか、と吸収していく人物として描かれ、それぞれの信条を持った脇役たちもそれによって善悪では判断できない魅力的な存在となるのであるが、脇役たちがこうして輝けるのは全て、主役の姫がそれぞれの立場を理解できるからこそだ、という仕組みになっている。

つまり、「この自由な世界で」と「篤姫」は、支持することも憎むこともできない中立な人物像をあぶり出す仕組みが異なっている。「この自由な世界で」の主人公たちは、ある特定の人物や出来事によって善悪の彼方へ導かれるのではなく、ドラマの世界観全体によって導かれるのだ。

「篤姫」の仕組みはストーリー作りの一手法なのであろうが、現代において、「この自由な世界で」のような世界においてリアルではないだろう。無論「篤姫」の世界は江戸末期、100年以上前のことで、現代的なリアリティーを求めるのには無理があるのかもしれないが、当時の人々も時代の変革期において、難しい局面で判断を迫られ、心情や行動にぶれが生じると考えたほうが自然で、完成された人物像ばかり見せ付けられてもその時代錯誤(現代とのギャップ)に白けてしまう。まして今、放映することの意味を考えると、やはり大河ドラマといえど今という時代が抱えるものに投影するようなものであって欲しかったと思う。良くできたドラマだが、根本的にそこが私にとっては残念なところなんだな。



余談だが、「この自由な世界で」を見て、イギリスにおける移民労働者の実態を思うと、フットボールファンの私としてはやはり、ベルバトフ(ブルガリア人)やシェフチェンコ(少し前まで英国にいてイタリアへ戻ったウクライナ人)といった移民を供給する側の国籍を持つストライカーたちが、搾取される労働者の偶像としての存在感を強めているのだと想像せずにはいられない。映画の中にも何気なくかつ示唆的に、移民たちがボールを蹴っているシーンを見ることができるが、イングランド人のストライカー達がイングランド人労働者階級のアイコンであった時代は移ろい、資本(これも国際的になった)が移民供給国のストライカーを買い漁り、そしてイングランド人の優秀なストライカーはほぼ絶滅したのである。

対岸の火事と侮るなかれ。Jリーグとブラジル人選手、それと日本が多く抱えるブラジルからの移民(ついでに優秀な日本人ストライカーが現れない現状)との関係についても、考察してみる必要があるのかもしれない。