8.26.2008

北京五輪雑感2 -サッカー-

さて私の大好きなサッカーですが、当然このオリンピックでも注目しておりました。最大の目玉はやはり、直前まで出場・欠場を取り沙汰されたメッシ(中国名:梅西)のプレイなのだろうが、ニュースのダイジェスト映像以外では決勝戦しか見れませんでした。もう彼の場合は、調子の上がらない試合でもなんとなく見せ場を作ってしまう域に達してきたようで、いよいよ超一流の仲間入りといったところに見えた次第であります。今シーズンも楽しみだ。

そこで、ほぼTVでフル観戦できたオリンピック日本代表の話に焦点を絞るが、女子の4位というのは事前に快進撃を予想していた通りになって、嬉しかった。他のチームと比較して特筆すべき点は終盤まで走り回れるその運動量だろう。相手の足が止まった後も、日本代表の面々は動き回っていた。ニュージーランド戦で追いついたのはまさにその長所が結果に出たものだったし、それ以降の試合も、例え劣勢にあっても最後まで期待を持たせてくれた。

難点を言うなら監督の采配と、キーパーだろうか。佐々木監督は大会前に「銅メダルなら十分狙える」というような発言をし、大いに選手の士気や視聴者の期待を煽った。この良い意味でペテン師的な行為は名監督と呼ばれるような人によくあるもので、この時点では佐々木氏の資質を大いに評価したくなったのだが、実際の試合を見る限りでは、縦に急ぎすぎる攻撃を序盤から最後まで貫く単調さが目に付き、選手交代が遅すぎるのも気になった。あの攻撃陣なら、もっとゆったり繋ぐサッカーができただろう。それでも、アイデアのない人ではないだろうという予感はするので、今後に期待したい。またキーパーのキックが精度に乏しいという技術的な問題も、いくらでも今後の練習によって解決できる話だろう。それにしてもやはり沢選手は一人、急ぎすぎる攻撃パターンの中でリズムを変えられるという点で異彩を放っていた。

男子もまあ、3戦全敗というのは残念ながら予想通りであった。相手が強いのだから仕方がない。
その中でも今後更に伸びそうな若手を幾人か確認することができた。特に内田選手などは、この1年だけ見ても飛躍的にプレイヤーとして向上している。思うに、従来日本代表チームは低い世代のカテゴリーであるほど結果を残してきたのだが、クラブチームなどの選手育成が浸透してきたことによって、選手の成長曲線が全体的にゆるやかな、年を取ってから向上していくというようなものに変化しつつあるのではないか(例えばイタリアのような)。中村俊輔や松井大輔といった選手たちが、20代後半になってからも目に見える成長を遂げていることなどが、それを裏付けているような気がするのだ。それに、柏木・梅崎などといった優秀な若手が選ばれないほど選手層が厚くなっていることも見逃せない。それこそメッシのように突出した存在は今だ現れないが、日本人サッカー選手全体の底上げは確実に進んでいる、と見た。

しかしまあ、難点は当然ながらある。やはりオーバーエイジ枠を活用してもらいたかった。オリンピックのサッカーについては完全に育成の機会と捉え、結果を不問とする国も数多く存在するのだが、JFAの態度は明らかにそれとは違っていたはずだ。それなのにきっちりとオーバーエイジの選手を確保できなかったというのは反町監督だけの責任では決してないであろう。私個人としては、中澤・中村憲・大久保を招集してもらいたかった(遠藤など体調不良だった者や海外組は除く)。反町ジャパンのコンセプトは簡単に言えばサイドアタック。しかもFWに高さのある人材を揃えない、ということは、サイドアタックからのセンタリングへFWに加えMFやDFの飛び込みを併せた数で勝負する、というものであったはずだ。それなのに、選ばれたMFの面々にはゴール前に飛び込んでいくというプレイオプションがなかった。これは大きな矛盾点だ。先述の私的希望オーバーエイジ選手たちには、そういうプレイができる。

男子サッカーに参加した国のうちオーバーエイジを活用しなかったのは、日本を含めわずか2ヶ国だったそうだ。不況が囁かれ始めている日本サッカー界にとって、この結果を出せず過程にも問題があったオリンピック男子の姿は、大きな痛手であろう。

8.25.2008

北京五輪雑感1 -サッカー以外-

久々の更新ですがオリンピックについて。今までは仕事に追われていたりとか、たまたま海外にいたりとかで、大会を通じてじっくりとTV観戦したことがなかったのだが、今回は随分と楽しんでしまった。

見ていて一番興奮したのは何と言っても、大会終盤に行われた重量挙げ男子105kg超級である。この競技は事前には全くのノーマークだったのだが、たまたま何かの作業中にTVをつけっ放しにしていたら決勝戦がライブ放映されていた。そして少し本腰を入れて見出したら、もう釘付けだ。何しろ「世界一の力持ち決定戦」である。このシンプルなテーマに、シンプルなルール。何よりバーベルを持ち上げる瞬間に選手が見せる気合のこもった表情がたまらないのだ。

ロイター配信のナイスな写真があったのでここにリンクしておきます。

この競技は最後にロシアの選手が、これ以上は無理だろ?というぐらいのバーベルを上げて喜んでいたところに、ドイツの選手がその無理を通してしまって見事な逆転優勝を遂げた。その劇的な展開も良かったが、何故か会場の観客にマッチョが多くて(ウェイトリフティング関係者か?)、盛り上がりぶりがド迫力だったのもまた印象的であった。

見ていて一番、自分もやってみたいと思ったのは、BMXだろうか。小さい自転車で段差のあるコースをレースする競技である。これも大会終盤に開催されていたが、短距離レースなのになにしろ完走率が低いのだ。狭いコースを8人で走るので、おそらくスタートダッシュ(瞬発力)と相手に接触せずに走る能力(動体視力)が主に要求されるのだろうが、多くのレースで接触が起こり、数人脱落していく。それでも皆、限界に近いところまで接触を恐がらずに走り、トップを目指すところが魅力的だ。決勝でも、2人が抜け出してデッドヒートを演じ、後ろの選手が「銀メダルはいらない」とばかりに仕掛けて自滅し、メダル圏外に終わってしまっていたが、この「勝利以外に意味無し」といった姿勢が、どこの国がメダル何個といったみみっちい計算をオリンピックの意義としているような、ある論調と対極を成しているようで清々しく思えた。

清々しいと言えば、この大会を通じて私が目撃した一番清々しい表情は、平泳ぎ100mで北島選手が優勝した際に、どこのコースからか寄ってきて彼を祝福したどこかの国の選手だ。北島自体、私が言うまでもなく素晴らしかった。アテネでヒーローになった時には特に興味をそそられる対象ではなかったが、偉そうに言えば、競技自体や、その後のマスコミ対応を含めて見ても、人間的な成長を大きく感じさせられたのだ。やはり鍛えている人間は違うなあ、俺も頑張らなきゃな、なんて気にさせてくれた。が、あの北島を祝福した選手の表情は北島以上に特筆ものだった。同じ競技をやっている者だけがわかる、北島が成し遂げたことの凄さに対する純粋な敬意と、決勝を一緒に戦った同志としての感情が入り混じった清々しさだ。

日本人選手の中に、負けてなおあのような人目を惹く態度を取れる者がどれだけいることか・・などと書いてみて、一人思い浮かんだのが女子レスリングの伊調千春選手である。彼女は2大会連続で決勝戦に敗れ、銀メダルに終わった。レスリングのようなトーナメント方式でメダルを争う競技において、銀というのは最後に負けて得る色で、3位決定戦に勝って得る銅メダルよりもどこか切ないものに感じられるのだが、伊調は掛け値なしで満足している様子に思えた。それだけ、そこまでの過程において「全てをやり切った」ということなのだろうということと、後に戦いを控える妹・伊調千春選手への気遣いでもあるということがひしひしと伝わってくる、実に見事な態度だったと思う。