4.26.2007

自動車免許の再取得8

いきなり話を脱線させるが、皆さんは今年の6月2日より"中型免許"なるものが新設されることをご存知だろうか?これは基本的には従来の普通免許と大型免許の間に割り込んできたようなもので、例えは悪いがその圧迫を受けたような形で、6月2日以降に取得する普通免許で運転できる車の車両総重量や最大積載量は、6月2日以前に取得するものよりも小さくなるのだ。詳しくは、おそらくこの改正法の施行直前には一般にもニュースとして広まっているだろうから省略するが、ともかく最近、免許取得時に必要な講習や教習・試験などの予約状況が混み合っていたのは、こうした事情も絡んでいるのかもしれない。

2ヶ月待ってようやく受講できた取消処分者講習の話に戻る。
2日目の朝、最大の関心事はやはり前日講習中に倒れたおじさんの安否についてだったが、無事に参加していた。前日は体が回復するのを待ってタクシーで帰った、途中病院に寄る気力もなく、帰宅してすぐに寝たという話を後で耳にした。私などは現在、比較的スケジュールを自ら立てることの出来る生活をしているためまだ免許を取り直すといっても、それをし易いわけだが、会社勤めの人などの多くにとって、一度失った運転免許を再取得するという道のりは険しい。この講習にしても、2ヶ月待たされた上に平日しか開催されず、しかも2日連続という条件なのだから、そう簡単に受けられるものでもないだろう。実際に予約をしながら初日から来れなかったという人も何人か存在したし、この初日に倒れたおじさんも、体は大事だといっても次にいつ受けられるかわからないこの講習から脱落するわけにはいかないという決意が伝わってくる。私は身の引き締まる思いがした。

2日目の内容は、初日に行った運転適正検査の結果発表と説明、それと引き続き運転実技指導にレクチャーといったものだ。適性検査の結果は私にとって意外なものだった。10年以上前にはじめて受けた検査の結果は最悪のもので、「あなたは免許取得後、事故を起こす可能性があるから気をつけなさい」というようなことを当時教官から言われたと記憶しているのだが(実際に事故は起こさなかったが、免許取消処分を受けた)、今回は逆に最高レベルのもので、大変運転に向いているとのお墨付きを与えられた。こういった検査の結果にどの程度の精度があるのかわからないが、やはり10歳以上歳をとれば気付かぬうちにメンタリティーも大分変わってきているのだろう。

この日のレクチャーでは講師が「さて、突然だけど、事故は何故起こるのでしょうか?1人1つずつ答えてください」と、全員を当てて質問する時間があった。私は5番目ぐらいに当たり、「(運転技術に対する)慢心」と答えたら、次に当たった人は「自信過剰」と答え、その次の人は「過信」と答えていた。もはや同義語を言い当てる国語の授業と様変わりしたようで、可笑しかった。

夕方、講習の感想文を提出して終了という段になった。8つほどの項目について、1つの項目につき最低3行書かなければならないという制約があるのだけど、1人どうしても書き終わることができないおじさんがいた。その人はレクチャーの中でもわりと積極的に質問や発言をしていたのだが、どうにも文章を書くという行為が苦手のようなのである。色々な人がいるものだなあ、と改めて思い知らされた。

4.18.2007

マラッカの安宿で

私は学生の頃、いわゆるバックパッカーのようなスタイルでの中長期海外渡航を幾度か経験したことがある。その中では印象的な人たちとの出会いもあり、私などとは比較にもならないほどの凄まじい旅行体験を持った人とか、語らっている中で某国のスーパーエリートだということが判明した人だとか(そんな人が私と同じ安宿に泊まっていたことも興味深い)、それぞれの人が与えてくれた印象も様々なのであるが、共通してそんな人たちに抱いた感覚は年齢を超えた尊敬の念と、僭越ながら少しばかりのシンパシーなのであった。

はじめて海外へ旅立った時、私は無謀にも一人で、アムステルダム行きと1ヵ月後に成田へ戻るチケットだけを準備して、宿の予約を一切せずにその"修練"をスタートさせたのだが、甘ちゃんの私には想像以上にヨーロッパの壁が厚く、異文化の心地よい刺激を超えてホームシックが5日目あたりに襲来したのである。その時私はデン・ハーグという町の日本人が経営する宿にいた。そこで私と同じ日にチェック・インした人もまた、印象深い人物だった。

彼の名はもう忘れてしまったが、当時の私より10歳ほど年上で、高校の美術講師をしながらアーティスト活動を生業としているということだったと記憶している。彼が勤めている高校と私が当時通っていた大学の所在地が近かったということも記憶しているが、そんなエピソードを超えて私は彼に、共に過ごした期間が短いのにも関わらず強い敬意を覚えずにはいられなかった。とにかく垣根のない人なのである。大学で倫理学を専攻していた年少の私に哲学的な質問を、挑発的な雰囲気を全く感じさせない純粋な感覚でぶつけてきたり(大して勉強していなかった私はシドロモドロになった)、フランダースの犬というアニメが好きだったので、そのストーリーとゆかりのあるアントワープの教会で、犬の銅像にまたがって写真を撮ってもらったとかいう他愛のない彼の話に、というよりその話し方に私は惹かれたものだった。ホームシックにかかりながら自らそれを認めることが出来ないでいる私の前で、彼は奔放に振舞い、その姿が私の心の障壁を打ち砕いたのである。

私は天邪鬼な性質から、敬意を持った人には"いつかまた会える"という思いと"今の私には会う資格もないだろう"という考えから、再会を避けていく傾向があるので、その人ともその時限りのままでいるし、久しく忘れていた存在なのであったが、先日ふと彼の存在を思い出す機会に遭遇した。短期間ながら私は友人とマレーシア・シンガポールへと海外旅行に出かけ、久しぶりに安宿を泊まり歩くという体験をしたのだが、マラッカという町に滞在して2日目の夜、宿へ戻った私たちにホテル・スタッフが「日本人が今日から増えたよ」と言って宿泊者共有ロビーの方を指差した。そこには私より若いであろう青年が佇んでいた。

青年は明るく我々に挨拶をしてきた。聞くと大学で建築を学んでいるというその青年はちょうど、私がはじめて海外に出た頃の年齢で、そして私は昔出会ったアーティストと同じぐらいの年齢に達していた。私は仕事で建築学に関わったこともあり、興味のある分野だったので、その青年にそういった学問の話を持ちかけた。私の友人は青年が日本で住んでいる町と縁があったので、その町の話題で一時の語らいを構成していた。私たちは次の日、クアラルンプールへ移動したので一晩限りの付き合いとなってしまったが、私はデン・ハーグでの夜を思い出さずにはいられなかった。マラッカの青年は同年代の頃の私よりも大人びていたし、私がデン・ハーグのアーティストから受けたような敬意やシンパシーを、その青年に与えられるほどの存在ではなかっただろう。むしろ私のほうが忘れていた出来事を思い出し、何か初心のようなものを回想することになった。そんなマラッカの夜であった。

4.11.2007

自動車免許の再取得7

取消処分者講習の予約日が迫り、私は再び免許再取得に向けてのアクションを起こすことにした。
ここから本免許を得るまでに必要な項目を箇条書きにすると、以下のようになる。

・1日2時間以上で5日以上の路上運転履歴
・取消処分者講習(2日間)
・特定講習(7時間ぐらい)
・本免許筆記試験
・本免許実技試験

この中で特定講習というものは、順番として本免許試験合格後に受講してもいいものなのだが、その場合本免許試験合格の日に免許は交付されず、講習受講を証明する書類を後日免許センターに提出してはじめて交付されるという手間のかかる流れになる。私はとりあえず路上運転履歴を満たし、実技試験に向けてのテクニックを身につけるため、路上教習の予約を入れた。

数年ぶりに公道上を走るというので少し緊張しながら始まった路上教習において私は、すぐにカンを取り戻して運転の硬さこそほぐれたものの、つい2ヶ月前に仮免許対策として教わった正しく細かなドライビング・テクニックをあまり覚えておらず、1からやり直しとまではいかないものの、色々なことをその都度思い出しながら運転しなくてはならない状態になっていた。単純な左折1つをとっても、ウインカーを出すタイミング、車を左に寄せるタイミング、アクセルとブレーキのメリハリ、巻き込み確認の徹底etc..、知識というよりも体で覚える必要のあるポイントが幾つも存在した。仮免許を取得する直前の段階では、教習所のコース内で運転する限りにおいてはかなりのレベルで体に浸透していたのだが、もう忘れてしまっている。空白の期間が恨めしい。

また路上においては、例えば3速で40キロをキープしたり、4速で50キロをキープし続けるということが意外と難しい、というより精神的に苦痛であることがわかった。前を走る車は大抵もっと加速していくし、後ろを走る車がもっとスピードを上げていきたいと思っているのもよく伝わってくるという状況だと、制限速度を守らないと試験では減点されると理解していても、つい流れに沿ってアクセルを踏んでしまうという危険性があるわけだ。早い流れには逆らい、かといって50キロ制限の場所を40キロで走っても駄目で、速やかに時速50キロへと加速しそのスピードを保たないといけない。左折と並んで、これも実技試験では大きなポイントとなるだろうと予感させる体験であった。

路上教習を3日分行ったところでいよいよ取消処分者講習の日がやってきた。この講習は鮫洲や江東などの免許センターや、私が通っている教習所ではなく、また別の教習所で受講することになっていた。東京都内では3箇所でしか開催されていないということだ。朝早くその教習所に私が着くと、40歳代やそれ以上に歳をとった方々の姿が目についた。私の後に入所してきた人達を見ていても、年下であろうと思われる人の姿はあまり見当たらず、同世代かそれ以上の人ばかりだった。しかも全て男性だった。そんなメンバー構成で講習はスタートした。

初日には運転適性検査や、事故を起こさないためのレクチャー、運転実技指導などが行われた。運転適性検査は取消処分者講習に限らず、免許を取得するために公認の教習所に通えば大抵受けることになるもので、足し算や引き算、四角いマスの中に三角形をひたすら制限時間内に書くといった反射神経を測るものや、性格診断などで構成されていて、結果は2日目に発表するという流れになっていた。レクチャーはビデオ教材を用いたもので、いくつかの事故事例を挙げ、どのようにしてそれは起こったのかという検証によって構成されているのだが、ドキュメンタリーと銘打ったそのビデオは内容としてはむしろメロドラマの範疇で、私は本来目的とはやや違う意味で堪能してしまった。

そして実技指導。私を含む数名は仮免許を取得してからこの講習に臨んでいたものの、大半は仮免許取得前段階での受講だった。この文章を読んでいる方が私のように免許再取得を目指すことになった場合、取消処分者講習は仮免許取得前に受講することをお勧めしよう。これは受講してみてわかったことなのだが、この講習における実技指導は仮免許の実技試験を念頭においたものだからだ。コース外での指導は仮免許を持っていても行われず、私を含む数名の取得者はその時間帯を、車庫入れや縦列駐車の実践を行った以外は筆記試験対策に費やすことになり、私は少し損をした気分になった。実技指導では実車の他にも、シミュレーターを使ったものも行われたのだが、某財閥系工業会社が製作したこの運転シミュレーターは残念ながらどう考えても欠陥品としか思えない代物で、運転に関わる機能はうまく再現していると思うのだが、とにかくユーザーを車酔い(シミュレーター酔い?)させるのだ。私は軽く目眩と吐き気をもよおした程度で済んだが、私の前に体験した2人は終了後にぐったりとしていた。

初日も夕方になり、最後に軽くレクチャーの時間があったのだが、そこで事件が起きた。教官が我々に解答を求めるに当たって、その教官が眠っている受講者を発見し、「寝てはいけませんねえ」と言いながら近寄ったところ、その受講者は寝ていたというより気絶していたということが発覚したのだ。運転シミュレーターを終えてぐったりしていた2人のうちの1人だ。教官は青ざめ、救急車を呼ぶかどうかという判断を迫られた。気絶していた受講者は意識を取り戻し、救急車を呼ぶ必要はないと答えた。騒然とした雰囲気の中、最後はあわただしく初日のスケジュールが終わった。