8.08.2009

群馬探訪その3

あくる日はすっかり晴れたので、まずは伊香保の山を登ることにした。旅館で朝風呂を浴び(これまた湯船を独占)、朝食に美味しい中華粥を頂き、値段を考えれば満点をつけられるこの洋風旅館を出発。ケーブルカーに乗ってあっという間に頂上に辿り着く。やや霧がかっているものの下界の温泉街を見渡すことが出来た。帰りは山道を徒歩で降り、森林浴の気分も味わうことが出来た。


(山頂からの眺め)


この後我々は、同じ群馬県でも少し離れたところにある富岡製糸場を目指すことにした。途中前橋付近で物産センターに立ち寄り、お土産を漁って昼食をとる。富岡に着いたのは14時ごろ、うだるように暑い。


(富岡製糸場)


明治以降の産業史上にたいへん重要な意味合いを持つこの工場跡は、私の予想を超える規模を誇っていた。1987年まで操業していたせいか、保存状態はかなり良好で、説明員のおじいさんが大変熱心に弁を振るってくれたことも相まって、当時の女工さんや役人、お雇いフランス人などの姿に思いを馳せることが出来た。ここは世界遺産登録を目指しているようで、我々が説明を聞いている間にも別のバスツアー団体がどどっと入ってきたりと、史跡としては中々の盛況振りを見せていて、また私の目には、盛況するだけの価値があるものだと思えた。

それにしても暑い。酷暑の最中の社会見学によってすっかりバテた我々は製糸場を出ると、レトロなムードの洒落た喫茶店を発見しそこへ逃げ込んだ。閑散とした店を仕切っていた若者は、少し話してみると最近まで東京の入谷に住み、浅草のイタリア料理店で働いていたということで、同じく最近まで入谷に居を構えていた我々はしばしの間、打ち解けて雑談を交わすことが出来た。

さて、そろそろ帰ろうかという際にその彼が「もし時間があれば、この辺りが昔の城下町の風情を漂わせているので、寄っていくといいですよ」と、地図上の何も特別な印がない地点を指差して言った。こんな場所に本当に城下町などあるのか?と少し疑問を抱きながら、時間に余裕のあった我々はとりあえず、車を彼の指差した、小幡という地へ向かわせた。

10分ほど走ると小幡と思われる地点に着いた。なるほど城の堀のような佇まいの小川に沿って、武家屋敷風の旧家が立ち並んでいる。少し奥へ行くと城跡や和風庭園が整備されていて、長閑な田舎の風景が広がるこの地がかつて本当に城下町であったことを物語っている。


(小幡の和風庭園)


後で調べてわかったことだが、かつて小幡藩という藩地が存在したこの地は、明治の廃藩置県によってわずかの間、小幡県と名を変え、群馬県に編入された。その後の町村制施行によって生まれた小幡村は小幡町と名を変え、現在では甘楽郡甘楽町小幡という位置づけになっている。昔、短い期間ながらも"県"を名乗っていた地名が、今では町村の名にも残されていないというわけである。

我々は夕暮れの中、この儚い歴史を持つ城下町を後にし、帰京した。充実した2日間であった。

8.06.2009

群馬探訪その2

事件の香りこそすれど何も起きなかった榛名湖を後にし、我々は夕刻、予約していた洋風旅館にチェック・インした。伊香保へ投宿するにあたり事前にあれこれ検索していたところ、フレンチのフルコース付き1泊2食で8800円という破格の内容に惹かれここに決定しながらも、余りに安いので何か致命的な欠陥があるのではないかと恐れていたが、概観は新しくコンパクトでシック。ロビーに入ると高級そうなバーカウンターなどが置かれ、オーナーが道楽者であろうことを匂わせた。

部屋に荷を置き、私は早速入湯する。風呂がまた新しく、檜の香りが漂い期待を裏切らないものであった。他に誰もいない浴場を満喫した私は部屋に戻り、レストランへ向かいディナーをいただく。想像していた以上の繊細かつ美味で、それでいて気取ってはいない皿の数々が我々を迎え撃ち、これまた大いに満喫する。ここまで良い条件が続くと心配性が顔を出し、何で安いのかという説明がつかず気味悪くもなってくるが、部屋が多少狭いというのと、伊香保の中心である階段坂からは歩いて10分程度かかるという立地条件に無理矢理安さの理由を見出し、納得する。

ゆったりとした夕食を終えると20時を過ぎていた。温泉地の夜は更けるのが早いが、雨も上がったことだしと、私はパートナーと階段坂の方へ散歩に出掛けた。平日ということもあって、人影はほとんどなく、店も多くは閉まっている。それでもライトアップされた夜の階段坂には風情があって、飽きることはない。元々私が何故伊香保に興味を抱いたかというと、成瀬の「浮雲」や小津の「秋日和」といった映画に出てくる、モノクロの階段坂に深い感銘を受けたからなのであるが、私の目前にある夜の階段坂は、勿論カラーではあるのだけど落ち着いたライティングによって夜の闇が逆に強調され、映画で見た印象に近い雰囲気だ。

(夜の階段坂)


人気のない階段を一番上まで登ると伊香保神社がある。辿り着くとその狭い境内ではいきなり100人ばかりの群集、それも地元の人たちがうろうろと、何かが始まるのを待つようにして時間を潰している。何事かと思い待つこと30分。提灯行列がはじまった。年に1度の地元のお祭りに我々は偶然、遭遇したのであった。観光客を拒絶するでもなく、それでいて宣伝するでもない。大きすぎず小さすぎもない規模の粛々とした提灯行列が、伊香保の階段を降り、小道を練り歩く。その様は美しかった。


(提灯行列)


提灯行列の一行を見届け宿に帰り、もう一風呂浴びたが、今度もまた風呂場を独占することができた。だが好事魔多し。私はここで、宿のマスターキーと車のキーを取り違えて持ってくるという人生初のへまをやらかした。部屋のある本館ではなく、離れに位置する風呂から戻る際、その事実に気付いた私は本館に入ることが出来ず、絶望的な気分でタバコをふかしていた。3本ほど吸った頃だろうか、離れの戸締りに現れた従業員の出入りに便乗して私は、何とかこの窮地を逃れることができた。

(まだ続きます)

8.03.2009

群馬探訪その1

もう一月も前のことになるが、パートナーと共に群馬へ小旅行に出た。梅雨空の下、レンタカーを借りて10時前に東京を出発する。

カーナビゲーションによると、高速道路を使えば目的の伊香保温泉周辺まで3時間もかからず着いてしまうことが判明する。それでは旅情もなかろうということで、ひたすら一般道を北上。それでも丁度お腹の空いた13時半頃、伊香保温泉近くの水沢地区へ到着。まずは"まいたけセンター"という場所を訪れた。

ここでは特産物の舞茸や、舞茸を使った様々な加工品が販売されている。キノコの香りが充満する中でぐるっと商品を見渡していたところ、パートナーが舞茸を買おうとして、販売員のおじさんから色々と説明を受けているのが目にはいったので私も近づいて説明を聞いた。新鮮な舞茸は水で洗ってはならず、そのままソテーなどをするがよろしいとの御託宣であった。確かに洗ってしまっては、独特の芳香や味が失われてしまうであろうと至極納得した。

そして、"日本3大うどん"と呼ばれる(そもそも日本以外にうどんの有名な産地はあるのか?)水沢うどんを食べに、うどん屋が集中している通りに出た。風評通り、森の中を貫いている道路の脇にうどん屋だけが並んでいるという、ちょっと不思議な光景だった。東京で例えれば深大寺周辺とやや似た風景だ。我々は連なるうどん屋の中から「水香苑」というお店を選択、天麩羅と饂飩を頂いた。瑞々しくてコシのある、おいしい饂飩であった。


(水沢観音)


その後付近にある水沢観音を訪問する。坂東三十三箇所の16番札所であるこの寺院は、霧がかった天候との相乗効果で幽玄なるムードを醸し出していた。ここに円空の彫った仏像があると聞き、本堂の中を覗くと割りと平凡な像が鎮座している。この方面に疎い私は「ふむ、円空でもこのような真っ当な像を作るものなのか」などと勝手に結論づけようとしたが、そんなはずがないとばかりにパートナーはぐいぐいと雨中を突き進み、近くにある新しい建物に仏像類がまとめて置かれているのを発見。期間限定のサービスで無料入場することができた我々は、円空のあの独特なる彫刻を眺めることが出来た。

さて、これでまだ15時過ぎである。そこで我々は榛名湖へ向かうことにした。伊香保温泉を通過し山道をくねくねと登る。この山道が車を走らせていて、何とも言えず楽しいのだ。後で気付いたのだが"イニシャルD"という有名な車マンガに登場する秋名という峠の地名はここから採ったものに違いないだろう。マンガに出てくるだけあって、走り屋ではない私でも少し興奮するようなルートである。やがて車は坂を登り切り、しばらくして榛名山と、山に見下ろされた榛名湖が姿を現した。そう大きくもないこの湖の周辺には欧風のプチホテルがぽつぽつと建っていて、アガサ・クリスティやコナン・ドイルの小説に出てきそうな、事件の香りがする風景である。


(榛名山と榛名湖)


平日で雨の中とはいえ、それにしても人のいる気配がまるでしない。我々は車をとあるホテルに止め、喫茶室で休憩することにした。静々と顔を出し、コーヒーを給仕してくれたホテルマンに軽い気持ちで景気の具合などを尋ねると、高速道路が休日千円になり、首都圏の住民は更に遠くへ足を運ぶようになったため客足が遠のいたと、何とも景気の悪い答えを聞いてしまい、静かな湖畔の喫茶室には気まずい空気が流れた。

いたたまれなくなった我々はそそくさと勘定を済まし、伊香保温泉へと戻りチェック・インすることにした。

(思ったより長くなりそうなのでこの話は何部かに分けます)