4.18.2007

マラッカの安宿で

私は学生の頃、いわゆるバックパッカーのようなスタイルでの中長期海外渡航を幾度か経験したことがある。その中では印象的な人たちとの出会いもあり、私などとは比較にもならないほどの凄まじい旅行体験を持った人とか、語らっている中で某国のスーパーエリートだということが判明した人だとか(そんな人が私と同じ安宿に泊まっていたことも興味深い)、それぞれの人が与えてくれた印象も様々なのであるが、共通してそんな人たちに抱いた感覚は年齢を超えた尊敬の念と、僭越ながら少しばかりのシンパシーなのであった。

はじめて海外へ旅立った時、私は無謀にも一人で、アムステルダム行きと1ヵ月後に成田へ戻るチケットだけを準備して、宿の予約を一切せずにその"修練"をスタートさせたのだが、甘ちゃんの私には想像以上にヨーロッパの壁が厚く、異文化の心地よい刺激を超えてホームシックが5日目あたりに襲来したのである。その時私はデン・ハーグという町の日本人が経営する宿にいた。そこで私と同じ日にチェック・インした人もまた、印象深い人物だった。

彼の名はもう忘れてしまったが、当時の私より10歳ほど年上で、高校の美術講師をしながらアーティスト活動を生業としているということだったと記憶している。彼が勤めている高校と私が当時通っていた大学の所在地が近かったということも記憶しているが、そんなエピソードを超えて私は彼に、共に過ごした期間が短いのにも関わらず強い敬意を覚えずにはいられなかった。とにかく垣根のない人なのである。大学で倫理学を専攻していた年少の私に哲学的な質問を、挑発的な雰囲気を全く感じさせない純粋な感覚でぶつけてきたり(大して勉強していなかった私はシドロモドロになった)、フランダースの犬というアニメが好きだったので、そのストーリーとゆかりのあるアントワープの教会で、犬の銅像にまたがって写真を撮ってもらったとかいう他愛のない彼の話に、というよりその話し方に私は惹かれたものだった。ホームシックにかかりながら自らそれを認めることが出来ないでいる私の前で、彼は奔放に振舞い、その姿が私の心の障壁を打ち砕いたのである。

私は天邪鬼な性質から、敬意を持った人には"いつかまた会える"という思いと"今の私には会う資格もないだろう"という考えから、再会を避けていく傾向があるので、その人ともその時限りのままでいるし、久しく忘れていた存在なのであったが、先日ふと彼の存在を思い出す機会に遭遇した。短期間ながら私は友人とマレーシア・シンガポールへと海外旅行に出かけ、久しぶりに安宿を泊まり歩くという体験をしたのだが、マラッカという町に滞在して2日目の夜、宿へ戻った私たちにホテル・スタッフが「日本人が今日から増えたよ」と言って宿泊者共有ロビーの方を指差した。そこには私より若いであろう青年が佇んでいた。

青年は明るく我々に挨拶をしてきた。聞くと大学で建築を学んでいるというその青年はちょうど、私がはじめて海外に出た頃の年齢で、そして私は昔出会ったアーティストと同じぐらいの年齢に達していた。私は仕事で建築学に関わったこともあり、興味のある分野だったので、その青年にそういった学問の話を持ちかけた。私の友人は青年が日本で住んでいる町と縁があったので、その町の話題で一時の語らいを構成していた。私たちは次の日、クアラルンプールへ移動したので一晩限りの付き合いとなってしまったが、私はデン・ハーグでの夜を思い出さずにはいられなかった。マラッカの青年は同年代の頃の私よりも大人びていたし、私がデン・ハーグのアーティストから受けたような敬意やシンパシーを、その青年に与えられるほどの存在ではなかっただろう。むしろ私のほうが忘れていた出来事を思い出し、何か初心のようなものを回想することになった。そんなマラッカの夜であった。

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