8.25.2008

北京五輪雑感1 -サッカー以外-

久々の更新ですがオリンピックについて。今までは仕事に追われていたりとか、たまたま海外にいたりとかで、大会を通じてじっくりとTV観戦したことがなかったのだが、今回は随分と楽しんでしまった。

見ていて一番興奮したのは何と言っても、大会終盤に行われた重量挙げ男子105kg超級である。この競技は事前には全くのノーマークだったのだが、たまたま何かの作業中にTVをつけっ放しにしていたら決勝戦がライブ放映されていた。そして少し本腰を入れて見出したら、もう釘付けだ。何しろ「世界一の力持ち決定戦」である。このシンプルなテーマに、シンプルなルール。何よりバーベルを持ち上げる瞬間に選手が見せる気合のこもった表情がたまらないのだ。

ロイター配信のナイスな写真があったのでここにリンクしておきます。

この競技は最後にロシアの選手が、これ以上は無理だろ?というぐらいのバーベルを上げて喜んでいたところに、ドイツの選手がその無理を通してしまって見事な逆転優勝を遂げた。その劇的な展開も良かったが、何故か会場の観客にマッチョが多くて(ウェイトリフティング関係者か?)、盛り上がりぶりがド迫力だったのもまた印象的であった。

見ていて一番、自分もやってみたいと思ったのは、BMXだろうか。小さい自転車で段差のあるコースをレースする競技である。これも大会終盤に開催されていたが、短距離レースなのになにしろ完走率が低いのだ。狭いコースを8人で走るので、おそらくスタートダッシュ(瞬発力)と相手に接触せずに走る能力(動体視力)が主に要求されるのだろうが、多くのレースで接触が起こり、数人脱落していく。それでも皆、限界に近いところまで接触を恐がらずに走り、トップを目指すところが魅力的だ。決勝でも、2人が抜け出してデッドヒートを演じ、後ろの選手が「銀メダルはいらない」とばかりに仕掛けて自滅し、メダル圏外に終わってしまっていたが、この「勝利以外に意味無し」といった姿勢が、どこの国がメダル何個といったみみっちい計算をオリンピックの意義としているような、ある論調と対極を成しているようで清々しく思えた。

清々しいと言えば、この大会を通じて私が目撃した一番清々しい表情は、平泳ぎ100mで北島選手が優勝した際に、どこのコースからか寄ってきて彼を祝福したどこかの国の選手だ。北島自体、私が言うまでもなく素晴らしかった。アテネでヒーローになった時には特に興味をそそられる対象ではなかったが、偉そうに言えば、競技自体や、その後のマスコミ対応を含めて見ても、人間的な成長を大きく感じさせられたのだ。やはり鍛えている人間は違うなあ、俺も頑張らなきゃな、なんて気にさせてくれた。が、あの北島を祝福した選手の表情は北島以上に特筆ものだった。同じ競技をやっている者だけがわかる、北島が成し遂げたことの凄さに対する純粋な敬意と、決勝を一緒に戦った同志としての感情が入り混じった清々しさだ。

日本人選手の中に、負けてなおあのような人目を惹く態度を取れる者がどれだけいることか・・などと書いてみて、一人思い浮かんだのが女子レスリングの伊調千春選手である。彼女は2大会連続で決勝戦に敗れ、銀メダルに終わった。レスリングのようなトーナメント方式でメダルを争う競技において、銀というのは最後に負けて得る色で、3位決定戦に勝って得る銅メダルよりもどこか切ないものに感じられるのだが、伊調は掛け値なしで満足している様子に思えた。それだけ、そこまでの過程において「全てをやり切った」ということなのだろうということと、後に戦いを控える妹・伊調千春選手への気遣いでもあるということがひしひしと伝わってくる、実に見事な態度だったと思う。

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