7.12.2007

自転車旅行 -十日町編- 2

3日目の朝、熟睡から目覚めたらいよいよ脚が上がらなくなっていた。昨日までに肩と、臀部の痛みは発症していたのだが、いよいよ本命がやってきたという感じだ。

昨日自転車の大クラッシュにより負傷した友人は、どうやら旅を続行する気である。途中で「輪行バッグ」なるものを買って、自転車をそのバッグへ入れて電車に乗って追いかけるということだ。輪行とは自転車界ではメジャーな用語であるらしいのだが、私はその時初めて耳にした言葉であった。自転車を別の交通手段に積載して、自らもその交通手段を用いて目的地まで行くような意味なのであるが、例えばJRでは裸で自転車を電車に載せるわけにはいかず、分解して袋に入れて載せることが義務付けられている。そのための袋が輪行バッグというわけだ。これは後々使いそうだと思ったので、私の分もバッグを購入してもらうよう友人にはお願いした。

この日は山越えである。東京から沼田までの道程においては、沼田付近に到るまで特に目立つ坂道などなかったのだが、昨日の夕刻ごろ走った沼田周辺では素人には厳しい登り坂と、それに続く長い下り坂が待ち受けていた。快晴の朝、猛暑の中ノロノロと私はペダルを漕ぎ始めたが、脚が思うように回らない。6段変速ギアの中で、昨日までは6速を使っていたような平坦な所でも3か4速しか使えず、3速で登っていたような坂では1速しか使えないような体たらくだ。

しばらく走ると、三国峠という本格的な山道に差し掛かった。山道と言っても自動車用のもので、しっかりと舗装されたものなのだが、歩道はほとんどなく、側道も狭いので自転車にとっては非常に危険な場所だ。1速で少し進み、やがて自転車を降りて押して歩くという行為を繰り返す。そのうち全く自転車にまたがらなくなり、ひたすら押して歩くようになる。周囲は完全に森の中で、携帯電話のアンテナも立たない。太陽は道路を容赦なく照りつける。だんだんと、私は何でこんなことをやっているのだろうか?という気になり、更にはシジフォスの神話であるかのごとく、私はこの不条理をあるがままに受け入れるようになる。私は、下るためにこの厳しい上り坂を歩いている。そして下り坂は、その後また上るために存在しているに過ぎない。その繰り返しなのだ、と。

ふと気がつくと、トンネルの入口が見えてきた。その先は新潟県だと表記もされている。どうやら登るのはここまでということらしいが、いったいどれぐらいの時間が経ったのであろうと思って時計を見ると、まだ正午を過ぎたぐらいのところを針は指していた。永遠にも感じられた時間は、たったの3時間弱だったのである。これには拍子抜けした。ここから先の長い下り道は実に痛快なものであった。まさに上り坂は、下り坂を走るためのものであることが再確認されたわけであるが、その意味合いは先程までのシジフォス的無感情なものではなく、大変前向きなものへと変化を遂げていた。苗場のあたりで友人からの連絡が入り、越後湯沢駅で待っているとのことであった。その後上り坂があり、再び地獄へ落とされたかのようなショックを受けたものの、その坂は大したものではなく、また長い下りが続き、平地へ降りるとすぐそこに越後湯沢駅があった。

越後湯沢から十日町まではまた大きな峠を登って降りる必要があるのだが、私は友人と会い、1も2もなくここから十日町までは輪行しようということになる。電車を使ってシジフォスの輪廻から脱却しようというわけだ。はじめての輪行である。近所のレンタカー事務所からレンチを借り、自転車を分解し袋に詰める。慣れないのもあって30分ほどかかった。この先私たちは電車に乗り、何泊かした十日町でも濃厚な時を過ごしたのだが、自転車旅行としてのハイライトはまさにここに綴った3日間であり、その後の経過は省略する。この旅によって体重が5キロも落ちた私も大変なことは大変だったが、不慮の事故によって怪我まで負った友人のその後の奮闘振りには今でも頭が下がる思いだ。

ここまで、去年の思い出話が長くなってしまったのだが、先日その友人を含む4名で落ち合い、馬鹿な話に興じていたところ、「今年も自転車でどこかへ行こう」ということで盛り上がり、皆で場所を検討しあったのであった。遠出初体験の新潟行きを超えたインパクトのある、非日常体験をするのは容易ではないかもしれないが、一度このような無謀な冒険を行ってしまうと、その再現を夢想したり調査したりするという時間が発生し、それ自体がまた非日常的で楽しいものなのだと今、感じている。

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