11.12.2007

MP3 PLAYERと、私

相も変わらず自転車に乗り続けている私だが、少し遠くへ行く際にはipodのお世話になるという癖がついてしまった。元々私はipodになぞ興味がないどころか、アンチを貫いていたにも関わらず・・

何故私がipod(というより、携帯型の音楽再生機全般)を問題視していたのかというと、それがユーザーの自己愛と鈍感力を助長しているとしか思えなかったからだ。電車に乗っていても、疲労感を顕わにした老人がヨボヨボと立っているその前に、どっかりと股を広げて腰掛けている若者の耳にイヤホンが突き刺さっている姿は今や日常茶飯事の如く目に入る光景である。この若者は多分、自分で選び抜いた音楽の世界に入ってしまって、目の前で座りたそうにしている人がいるということに気がついていないんだと思う。

また、ニューヨークのような格好いい都会にはじめて出かけたとしよう。空港へ降り立ち出国手続きを終え、地下鉄に乗ってマンハッタンへいざ行かんとする若者の耳にはやはり、イヤホンから流れる「自分のフェイバリットソングス・NYCバージョン」が鳴り響いているのではないか。少なからず存在するであろうそういった人たちについて私は、もったいないと思わずにはいられないのだ。見聞という言葉があるけど、はじめての場所で街の音から耳を閉ざしていては、半分(つまり見聞の、見)しか世界が広がらないではないか。そんなに自分の世界を守って、愛してどうするんだよ・・

なんていう持論を抱えた私に、とある知人がタイ土産という名目で小さなipodをプレゼントしてくれた。何故タイの土産がipodなのかは全くもって謎に包まれているのだが、一応タイっぽいイメージのゴールドカラーであったことを記しておこう。兎に角、期せずしてipodを所有することになってしまったのである。

いくら頂いたからといっても、そんなに嫌いならば放っておけば済む話なのだが、私はipod(シャッフルとかいう機種です)の余りの小ささに心を奪われてしまった。元来音楽好きで、またPCではiTunesをプレイヤーソフトとして使用していたせいか、この小さな機械にお気に入りの音楽を詰め込み、街へ出て行くまでにそう時間はかからなかった。最初は「自転車に乗るときは危ないから止めよう」と思っていたものだが、一度それを試すと、疲労が半減するような気がした。その効果を理由に自転車外出の際、ipodが手放せなくなってしまったのである。

こうして、晴れて自己愛の囚人と化した私は今日(正確に言えば昨日)も所用をこなしに台東区から板橋区へと、音楽を聴きながら自転車を走らせた。用を済ませ、外していたipodを再び装着して外に出ると雨が降っていたが、それでもイヤホンをつけたまま台東区へと戻る。道中、雨は徐々に激しさを増し、自転車のスピードも鈍る。が、流れてくる音楽に勇気付けられつつなんとか台東区へ入り、家の近所までたどり着いた。目の前に迫る信号は変わらず青のままで、私は右折すべく体を傾けた。右折した先に、車線を逆走してきた自転車2台が突然視界に現れた。急ブレーキをかけてハイドロプレーン現象を起こした私の愛車は大きく傾き、とっさに伸ばした右足でなんとか転倒を防いだ私の体は、気がつけばサドルから降りて車道に立ち尽くしていた。何の挨拶もなく2台の対向車は遠くへ過ぎ去り、私は呆然としたまま左手でかろうじて自転車のハンドルを握り締め、右耳からはイヤホンが抜け落ちていた。

雨で視界不良の中、聴覚を自ら塞いでいた私の落ち度であった。

0 件のコメント: