3.04.2008

京都・大阪旅行 -京都の朝-

夜行バスに揺られ眠れぬ夜を過ごした私は、6時に京都駅八条口へ到着した。2月の京都では、この時間はまだ夜が明けたばかりの薄暗く、どんよりとした灰色が空を覆っていた。観光を開始するにも寺社の類は9時まで開門を待たねばならない。私は小腹も空いていたので、とりあえず7時にオープンするはずであるかの有名なイノダコーヒーの本店を目指して動き出すことにした。

数年前、私は日本人とコーヒーの関わりについてのテレビ番組を企画したことがあった。その辺りに詳しい知人の先生に出演をお願いし、紆余曲折を経て結局はラジオ番組としてこの試みは具現化されたのであるが、今ここでその当時、先生から教わったイノダコーヒーについてのウンチクを語ろうとしても、どうしても細部を思い出すことが出来ない。断片的に覚えているのは、歴史あるこの本店が朝早くから開いているのは、市場の近くに立地していたためで、また、特に断りを入れなければコーヒーにミルクと砂糖を入れてくるというサービスの由来は、市場で働く忙しい人々の、さっと飲んでさっと出て行くようなスタイルに合わせ、お客さんの手間を省略したためである、ということだ(と、ここまで書いてしまったところで大変恐縮だが、悲しいことにこの覚えているはずのエピソードですら確かであるという自信がない)。

かくして、コーヒーについての知識は未だほとんど無きに等しい私であるが、以前京都を訪れた際、在住の友人に教わったこの喫茶店の得がたい魅力ははっきりと記憶している。四条烏丸駅で地下鉄を降りた私は、まだ開店まで時間の余裕があったので、ぶらぶらと寄り道しながら歩いた。時折不意に強烈で、それでいて上品な鰹出汁の匂いが私の鼻をつき、やがて消える。そんな時に振り返ると必ず料亭の看板が目に入り、こんなにも朝早くから仕込みを行っているのかと感心する。やがて私は偶然、錦市場の通りに差し掛かる。アーケードの中に入り歩き出すと、暗がりの中、どの店もまださすがに営業を開始してはいないが、何やら店の奥に人がいてごそごそと蠢いているのがわかる。通りにいるのは私一人で、始業前の厳かな錦市場の雰囲気を独占しているかのような、何とも贅沢な気分になる。これが京都の朝だ!

7時を過ぎ、私はイノダコーヒー本店に辿り着き、暖簾をくぐった。既に常連と思わしき数名の客がテーブルについて、株価やらの時事について論議を交わしていた。席に着き、メニューを見て注文しようと顔を上げると、ベテランの(私は数年前に一度ここへ来ただけなのにも関わらず、その顔を覚えていた)ウェイター氏が見計らった絶妙のタイミングで、さりとて見計らったという緊張を私に伝えることなく、オーダーを受けに来た。完璧な給仕である。その後、美味なるハムサンドと、酸味が程よく入ったコーヒーをゆっくりと堪能して私は、この旅行の一番の目的としていた醍醐寺へと向かうことにした。

醍醐寺は京都の中心からは離れているが、その最寄り駅までは地下鉄で辿り着くことが出来る。醍醐の駅を降りると、時計は8時30分を指していた。京都に着いてからここまでの2時間半は、やけに濃密な時間であった。ゆっくりと10分ほど歩いて下醍醐に到着する。世界遺産に指定されているこの醍醐寺は、山の裾野に伽藍を配置した"下醍醐"と、そこから1時間ほど、500メートルほど山を登った場所に位置する"上醍醐"に分かれている。私は寝不足でヘロヘロなのにも関わらず、上醍醐まで山登りする心積もりであった。まずは下醍醐(いわゆる醍醐寺)を見学しようと思い、9時開門のところを8時45分にチケットカウンターへ到着し、既にスタンバイしていた捥ぎりのおばちゃんに「少し早いけど、入れてくれないか?」と頼んだところ、おばちゃんはいかにも京都らしい(これはアウトサイダーから見た京都人への偏見なのかもしれないが)、もったいぶって嫌味の入った、それでいて愛情もある言い回しで、「本当はだめだけど、特別に許してあげる」という内容を伝えてくれた。

下醍醐は期待通りの威厳を備えた場所であった。京都府に現存する最古の建物だと言われる五重塔が伽藍全体に風格の楔を入れている。講堂からは朝早くから、真言密教の呪文めいたお経を、大勢のお坊さんが輪唱している声が聞こえる。しかし私はこの仏閣を堪能しながらも、心は早や、この後に登るであろう醍醐の山に向けられていた。どんなに素晴らしい光景が私を待ち受けているのだろうか?また、前夜一睡も出来ずにいた私の体力は果たして登山に耐えられるのだろうか?1時間ばかりを醍醐寺の探索に費やした後、私の足はのろのろと、上醍醐への登山路へと向けられた。

そこは、鬱蒼とした山林であった。既に体力が限界近くに達していた私は、無理をせずゆっくりと足を運ぶ。時折後ろから、私より2回りは年上であろう、そしてこの山に何度も足を運んでいるのであろうベテランの人々が軽快な足取りで私を抜き去っていく。ベテランの人々は身なりもちゃんとしたハイキング仕様で、ロングコートにカンペールの現代的な靴で身を包んだ私の姿は、全くをもってその場にそぐわなかった。それでも一歩一歩、地を噛み締めて私は前に進んだ。中腹辺りからは雪が積もっていて、私の行程を更に遅らせた。疲れと幻想的な景色の最中、ほぼ無心になって歩み続けた先には、不意を突くような形で山寺のレイアウトが顔を覗かせた。こんな山奥に、立派な寺院建築物の数々が整然と、自然にマッチして配置されている。私はこの奇跡的な光景に胸を打たれ、しばし呆然とした。本当に、呆然としてしまったのである。ふと我にかえり時計を見やると、徒歩60分と案内されていた登山路に私は75分を費やし、それでも時計の針は11時を回ったところであった。こんなに贅沢な朝の、午前の時を過ごすことは、又とないのかも知れぬと私は感慨に耽ったのである。

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