3.29.2007

フラメンコ鑑賞

先日、来日したアントニオ・ガデス舞踏団の「カルメン」を観る機会に恵まれた。

私とフラメンコの関係は希薄なもので、パコ・デ・ルシア(フラメンコギタリストの第一人者)のアルバム数枚を愛聴する以外には、スペイン料理屋の余興で演じられるようなダンスを眺める程度のものに過ぎず、またいわゆるパフォーマンスを観賞すること自体についても、ここ数年興味を持ってピナ・バウシュやフィリップ・ドゥクフレといったコンテンポラリーの大物を見て楽しんだりはしたもののダンス観賞初心者の域を脱したとはとても言えず、こんな私がアントニオ・ガデス舞踏団について何か語るというのもおこがましい話ではあるのだが、逆に初心者ということもあってか、良質なパフォーマンスを見るたびに私は、未だにとても非日常的な知的興奮を覚えるのである。

アントニオ・ガデスという人は20世紀後半の伝説的なフラメンコダンサーで、2004年に亡くなった後、彼と関係の深い人々がその業績を継承すべく舞踏団を引き継いだ。カルロス・サウラ監督と一緒に何本かの映画を作ったことでも知られており、今回の「カルメン」公演も台本・振付にガデスと共にサウラの名がクレジットされている。つまり80年代に映画そして舞台用としてガデスらが製作したものを、今回ガデス舞踏団が演じるというわけだ。カルメン役のダンサーはガデス生存時の晩年に、公私共にガデスのパートナーであったダンサーからその座を引き継いだステラ・アラウソ。彼女は新生ガデス舞踏団の第一舞踏手としてだけではなく、芸術監督としても活動している。

ガデス版「カルメン」の舞台は一座全員によるリハーサルの場面という"虚"の世界から始まる。シンプルな作りだがカラフルで、品のよい衣装の躍動する様が実に美しい。やがて主役のカルメンも登場し、いつの間にか舞台は、本番(の場面)という"実"へと進んでいく。バレエ的な動きやコンテンポラリーな要素を交えつつ、それでもやはり伝統芸能としての基本を押さえたまま劇は続く。圧倒的な緊張感に包まれた世界は、途中和やかな場面も織り交ぜつつ、また突発的にテンションを高めるという演出の中、あっという間に最終局を迎える。休憩なしの2時間弱という構成は、間を入れることで観客のボルテージが一旦下がるのを防ぐということでもあり、また物凄い運動量を必要とすると推測されるフラメンコ・ダンスにおいて休憩を置かずに演じ切る限界がこの時間なのではないかとも推測できる。

ここで「カルメン」のあらすじを細かく記述することは、有名な劇でもあるし避けることにするが、勝気な若い娘と反目し、男性たちの間を彷徨いながら最後は嫉妬に駆られた男性によって殺されるというカルメンの姿は、虚実合わさった演出の上にもう一つ"現実"という要素を連想させる。ステラ・アラウソがガデスの相手役を勝ち取ったように、今カルメンを演じているステラもいずれこの劇に出演していた脇役の誰かに、その座を奪われることになるのだろう、という現実を。

そういった意味で「カルメン」は、とても残酷な物語だ。しかし私は、残酷さの中にもユーモアとある真実を織り交ぜたこの演目を、まさに目の覚めるような感覚で体感した。そしてアントニオ・ガデス舞踏団のこの演目をもう一度いつか観てみたいと思った。またある時、更にもう一度観る機会に恵まれたなら、その時も観てみたくなるだろうとも思い至ったのである。これが普遍的な伝統芸能、普遍的な物語の持つ魔力というものなのだろうか。

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