このブログで、映画についてしょぼい映画を引き合いに出して、いかにしょぼいかを書き連ねることもよくあるのだが、この前観た「レスラー」という映画は良かった。実に良かった。
ヴェネチアで金賞を獲得したこの作品の根底にはアンチ・ハリウッドの佇まいが一貫して流れてはいるものの、ストーリーは至ってシンプルであり、恋愛や家族愛、プライドと生活苦、健康と生き様といった対比の狭間で落ちぶれた中年男性が揺らぎ、決し、戦うという様子が変に奇をてらうことなく、また単純で浅い描写でもなく、ただ直球で描かれている。並みの直球ではない、剛速球である。
通常プロレス興行を観戦する場合、テレビ観戦にしてもライブ観戦にしても、ある程度現場から離れた地点からの視線で事象を捉えることになるのだが、この作品ではクローズアップした、いろんな意味で生々しいサイズの画を中心に戦いの場面を構成していて、それが、なぜ映画でプロレスを表現したのかというアイデンティティーの一角を成しているように思われるが、そもそもこの映画は内容の多くがリング外の出来事によって構成され、そこで織り成される人生の機微がまた何ともプロレスライクで、愛おしい。
リング外の出来事を追いかけるというのも通常、プロレスをたしなむ上では必要不可欠なことで、日本においては雑誌や東スポなどでファンはリングとリングの狭間を埋めていく。しかし、さすがにプロレスを専門に扱うメディアといえども、リング外の出来事をある程度(共犯者として)表現することはできても、レスラー達のプライバシーやリングを離れたところでの本音を表現することは出来ない。映画「レスラー」はフィクションなので、ミッキー・ロークが演じる元チャンプの、掛け値なしの人生をリングとリングの狭間に埋めている構成なので、物凄くリアルなプロレスなのである。
そこでふと、先日壮絶な死を遂げた三沢光晴のことを思い出す。彼は超一流で、リング上のパフォーマンスとマスコミを通じたリング外での(共犯関係における)表現だけで十分なものを魅せることができた。が、死後に出版された幾つかの専門誌による追悼号や普段プロレスを取り上げない一般紙(誌)のベタ記事などに掲載されている、知られざる様々なエピソード(とその行間)を読み解き、再度三沢のパフォーマンスを思い起こしてみると、彼が表現していた"十分なもの"を遥かに越えた世界が広がっていることに気が付く。三沢という人間をより知ろうとすることによって生まれた新たな三沢像が、彼の過去のパフォーマンスをより磨き上げるのだ。
今更ながら、プロレスとは空想力・想像力で味わうものだという基本的な事柄を思い出したわけである。現在プロレス人気に陰りの見える原因は、表現する側(レスラー、マスコミ)が分かりやすさを追求し、味わう側が空想・想像を放棄したという悪循環の中にあるのだろう。
7.01.2009
8.11.2007
打楽器の調べ(あるいは、その周辺)
友人Oが運営に関わっているという打楽器中心のコンサートを見に、また新潟県の十日町まで行ってきた。今年は自転車でなく自動車で赴いた。実は去年自転車で当地を訪れた際にも滞在期間中に"世界太鼓フェスティバル"というコンサートを見ていて、見るだけでなく会場の設営や撤収の手伝いまでしたのであるが、この度見たコンサートの出演者は"世界太鼓フェスティバル"にも出ていた音太鼓座(おんでこざ)とPURIの2組。更に言うと、今年も運営のお手伝いをしたので、焼き直しのような体験をしたとも表現できそうだが・・
私を含めた今回のコンサートを手伝う人数名を乗せた車が現地の宿舎に到着したのは夜の12時頃だった。利口な人はここで明日に備えて眠りにつくのだが、馬鹿な私と友人O、そして馬鹿ではないが好奇心旺盛な同行者の一部がビールを片手に宿の外にあるオープンデッキへ足を運ぶと、先客2名が既に酩酊した状態で会話を繰り広げていた。一人は数日前からここでボランティアとして生活しているという青年、もう一人は60歳前後の紳士で、コンサートに出演するアーティストのマネージメントをしている会社の社長ということだった。2人のオープンな雰囲気にのまれ、合流した我々は酒を振舞われつつもとりとめもなく話を続け気付いたら時計の針は4時を回っていた。ここでまだ飲んでいる先客の2人を残して我々は退散。僅かばかりの睡眠を取った。
2時間程度休息した後、早朝から我々はコンサート当日の行動を開始した。とはいえ、当初の予想以上にコンサートの準備はこの時点で完成していたため、座席を整えた後、私はOと共に会場近くの駅前にチケットブースを開き、イベントの告知を兼ねてチケット販売を行うことになった。10時ごろから販売を開始。しかし駅前といえど、そこは田舎なのでまず人通り自体がほとんどない。そう、ここは山と林と棚田に囲まれた静かな田舎町なのである。途中チケット販売を別のコンビに交代してもらったが、17時までブースを開いて全体で売れたチケットはなんと1枚のみであった。
それでも前売りで相当量売れていたらしく、屋外にある会場は開演時間が迫るにつれ徐々に埋まっていった。開演の頃にはほぼスペースが埋まっていたように思う。私はビデオ撮影による記録係を任ぜられていたのでスタンバイしたところ、プロのカメラマンが何人か入っていたので、彼らに遠慮して周辺からの撮影に徹することにした。しかしこれが私の体力を大きく消耗させる要因になった。三脚を持って様々な場所を彷徨いながらの撮影、下手糞ながらも元来撮影好きであるため、朦朧としながらも夢中になってファインダーを覗く。そんなこんなでコンサートが終わったときに私は倒れそうになっていた。
音楽自体は大変聴き応えのあるものであった。"世界太鼓フェスティバル"を見たときから密かに注目していたPURIは、去年より難易度を下げた演目に終始した感もあったが、それでも独特の、様々な拍子をコンパイルした不思議な音を鳴らし、音太鼓座は相変わらずの迫力あふれる演奏に加え、剣玉によるパフォーマンスなどで観客を魅了していた。撮影なんかしていなかったらおそらく、打楽器のリズムが遠く棚田の方にまで沁み伝わっていくような幻想的な感覚を味わえることができただろうが、私はむしろカメラを通した狭い視点から見ていたせいか、狭い屋内で演奏を聞いているような感覚になってしまったのが残念といえば残念だ。
宴は終わり、会場の撤収作業の後軽い食事を取ると、もう夜の12時近くになっていた。私は宿に戻りすぐにベッドへ入ったのだが、何故か3時前には起きてしまった。仕方がないので前夜と同じくオープンデッキに足を運ぶと、なんとまたボランティアの青年と社長が酒を飲んでいるではないか。この人たちは一体いつ寝ているのだろうか?私は唖然としながら、そこからまた6時ぐらいまで彼らの酒に付き合うことにした。思えば昨年も、十日町に到着後の日々は夜な夜な酒を囲み語らい寝ないというものであったので、やはり前述の通りある意味コピー体験となったのであるが、しかしどうして毎度こんなにも無茶なことをして体がもつのだろうか。
あくる日東京へ帰る車中で、同行者の一人がふと(この人は連日夜明けまで酒席にいたわけではないのだが、それでも大して眠れなかったらしい)「あまり眠れなくても、こういう空気の澄んだ場所だと眠りが深くなるのか、日中も起きていられるのよね」というようなことを洩らした。それは実に腑に落ちる言葉で、私はああなるほどと思い、東京に着いた途端に吸った空気のまずさが急に気になるようになった。
私を含めた今回のコンサートを手伝う人数名を乗せた車が現地の宿舎に到着したのは夜の12時頃だった。利口な人はここで明日に備えて眠りにつくのだが、馬鹿な私と友人O、そして馬鹿ではないが好奇心旺盛な同行者の一部がビールを片手に宿の外にあるオープンデッキへ足を運ぶと、先客2名が既に酩酊した状態で会話を繰り広げていた。一人は数日前からここでボランティアとして生活しているという青年、もう一人は60歳前後の紳士で、コンサートに出演するアーティストのマネージメントをしている会社の社長ということだった。2人のオープンな雰囲気にのまれ、合流した我々は酒を振舞われつつもとりとめもなく話を続け気付いたら時計の針は4時を回っていた。ここでまだ飲んでいる先客の2人を残して我々は退散。僅かばかりの睡眠を取った。
2時間程度休息した後、早朝から我々はコンサート当日の行動を開始した。とはいえ、当初の予想以上にコンサートの準備はこの時点で完成していたため、座席を整えた後、私はOと共に会場近くの駅前にチケットブースを開き、イベントの告知を兼ねてチケット販売を行うことになった。10時ごろから販売を開始。しかし駅前といえど、そこは田舎なのでまず人通り自体がほとんどない。そう、ここは山と林と棚田に囲まれた静かな田舎町なのである。途中チケット販売を別のコンビに交代してもらったが、17時までブースを開いて全体で売れたチケットはなんと1枚のみであった。
それでも前売りで相当量売れていたらしく、屋外にある会場は開演時間が迫るにつれ徐々に埋まっていった。開演の頃にはほぼスペースが埋まっていたように思う。私はビデオ撮影による記録係を任ぜられていたのでスタンバイしたところ、プロのカメラマンが何人か入っていたので、彼らに遠慮して周辺からの撮影に徹することにした。しかしこれが私の体力を大きく消耗させる要因になった。三脚を持って様々な場所を彷徨いながらの撮影、下手糞ながらも元来撮影好きであるため、朦朧としながらも夢中になってファインダーを覗く。そんなこんなでコンサートが終わったときに私は倒れそうになっていた。
音楽自体は大変聴き応えのあるものであった。"世界太鼓フェスティバル"を見たときから密かに注目していたPURIは、去年より難易度を下げた演目に終始した感もあったが、それでも独特の、様々な拍子をコンパイルした不思議な音を鳴らし、音太鼓座は相変わらずの迫力あふれる演奏に加え、剣玉によるパフォーマンスなどで観客を魅了していた。撮影なんかしていなかったらおそらく、打楽器のリズムが遠く棚田の方にまで沁み伝わっていくような幻想的な感覚を味わえることができただろうが、私はむしろカメラを通した狭い視点から見ていたせいか、狭い屋内で演奏を聞いているような感覚になってしまったのが残念といえば残念だ。
宴は終わり、会場の撤収作業の後軽い食事を取ると、もう夜の12時近くになっていた。私は宿に戻りすぐにベッドへ入ったのだが、何故か3時前には起きてしまった。仕方がないので前夜と同じくオープンデッキに足を運ぶと、なんとまたボランティアの青年と社長が酒を飲んでいるではないか。この人たちは一体いつ寝ているのだろうか?私は唖然としながら、そこからまた6時ぐらいまで彼らの酒に付き合うことにした。思えば昨年も、十日町に到着後の日々は夜な夜な酒を囲み語らい寝ないというものであったので、やはり前述の通りある意味コピー体験となったのであるが、しかしどうして毎度こんなにも無茶なことをして体がもつのだろうか。
あくる日東京へ帰る車中で、同行者の一人がふと(この人は連日夜明けまで酒席にいたわけではないのだが、それでも大して眠れなかったらしい)「あまり眠れなくても、こういう空気の澄んだ場所だと眠りが深くなるのか、日中も起きていられるのよね」というようなことを洩らした。それは実に腑に落ちる言葉で、私はああなるほどと思い、東京に着いた途端に吸った空気のまずさが急に気になるようになった。
3.29.2007
フラメンコ鑑賞
先日、来日したアントニオ・ガデス舞踏団の「カルメン」を観る機会に恵まれた。
私とフラメンコの関係は希薄なもので、パコ・デ・ルシア(フラメンコギタリストの第一人者)のアルバム数枚を愛聴する以外には、スペイン料理屋の余興で演じられるようなダンスを眺める程度のものに過ぎず、またいわゆるパフォーマンスを観賞すること自体についても、ここ数年興味を持ってピナ・バウシュやフィリップ・ドゥクフレといったコンテンポラリーの大物を見て楽しんだりはしたもののダンス観賞初心者の域を脱したとはとても言えず、こんな私がアントニオ・ガデス舞踏団について何か語るというのもおこがましい話ではあるのだが、逆に初心者ということもあってか、良質なパフォーマンスを見るたびに私は、未だにとても非日常的な知的興奮を覚えるのである。
アントニオ・ガデスという人は20世紀後半の伝説的なフラメンコダンサーで、2004年に亡くなった後、彼と関係の深い人々がその業績を継承すべく舞踏団を引き継いだ。カルロス・サウラ監督と一緒に何本かの映画を作ったことでも知られており、今回の「カルメン」公演も台本・振付にガデスと共にサウラの名がクレジットされている。つまり80年代に映画そして舞台用としてガデスらが製作したものを、今回ガデス舞踏団が演じるというわけだ。カルメン役のダンサーはガデス生存時の晩年に、公私共にガデスのパートナーであったダンサーからその座を引き継いだステラ・アラウソ。彼女は新生ガデス舞踏団の第一舞踏手としてだけではなく、芸術監督としても活動している。
ガデス版「カルメン」の舞台は一座全員によるリハーサルの場面という"虚"の世界から始まる。シンプルな作りだがカラフルで、品のよい衣装の躍動する様が実に美しい。やがて主役のカルメンも登場し、いつの間にか舞台は、本番(の場面)という"実"へと進んでいく。バレエ的な動きやコンテンポラリーな要素を交えつつ、それでもやはり伝統芸能としての基本を押さえたまま劇は続く。圧倒的な緊張感に包まれた世界は、途中和やかな場面も織り交ぜつつ、また突発的にテンションを高めるという演出の中、あっという間に最終局を迎える。休憩なしの2時間弱という構成は、間を入れることで観客のボルテージが一旦下がるのを防ぐということでもあり、また物凄い運動量を必要とすると推測されるフラメンコ・ダンスにおいて休憩を置かずに演じ切る限界がこの時間なのではないかとも推測できる。
ここで「カルメン」のあらすじを細かく記述することは、有名な劇でもあるし避けることにするが、勝気な若い娘と反目し、男性たちの間を彷徨いながら最後は嫉妬に駆られた男性によって殺されるというカルメンの姿は、虚実合わさった演出の上にもう一つ"現実"という要素を連想させる。ステラ・アラウソがガデスの相手役を勝ち取ったように、今カルメンを演じているステラもいずれこの劇に出演していた脇役の誰かに、その座を奪われることになるのだろう、という現実を。
そういった意味で「カルメン」は、とても残酷な物語だ。しかし私は、残酷さの中にもユーモアとある真実を織り交ぜたこの演目を、まさに目の覚めるような感覚で体感した。そしてアントニオ・ガデス舞踏団のこの演目をもう一度いつか観てみたいと思った。またある時、更にもう一度観る機会に恵まれたなら、その時も観てみたくなるだろうとも思い至ったのである。これが普遍的な伝統芸能、普遍的な物語の持つ魔力というものなのだろうか。
私とフラメンコの関係は希薄なもので、パコ・デ・ルシア(フラメンコギタリストの第一人者)のアルバム数枚を愛聴する以外には、スペイン料理屋の余興で演じられるようなダンスを眺める程度のものに過ぎず、またいわゆるパフォーマンスを観賞すること自体についても、ここ数年興味を持ってピナ・バウシュやフィリップ・ドゥクフレといったコンテンポラリーの大物を見て楽しんだりはしたもののダンス観賞初心者の域を脱したとはとても言えず、こんな私がアントニオ・ガデス舞踏団について何か語るというのもおこがましい話ではあるのだが、逆に初心者ということもあってか、良質なパフォーマンスを見るたびに私は、未だにとても非日常的な知的興奮を覚えるのである。
アントニオ・ガデスという人は20世紀後半の伝説的なフラメンコダンサーで、2004年に亡くなった後、彼と関係の深い人々がその業績を継承すべく舞踏団を引き継いだ。カルロス・サウラ監督と一緒に何本かの映画を作ったことでも知られており、今回の「カルメン」公演も台本・振付にガデスと共にサウラの名がクレジットされている。つまり80年代に映画そして舞台用としてガデスらが製作したものを、今回ガデス舞踏団が演じるというわけだ。カルメン役のダンサーはガデス生存時の晩年に、公私共にガデスのパートナーであったダンサーからその座を引き継いだステラ・アラウソ。彼女は新生ガデス舞踏団の第一舞踏手としてだけではなく、芸術監督としても活動している。
ガデス版「カルメン」の舞台は一座全員によるリハーサルの場面という"虚"の世界から始まる。シンプルな作りだがカラフルで、品のよい衣装の躍動する様が実に美しい。やがて主役のカルメンも登場し、いつの間にか舞台は、本番(の場面)という"実"へと進んでいく。バレエ的な動きやコンテンポラリーな要素を交えつつ、それでもやはり伝統芸能としての基本を押さえたまま劇は続く。圧倒的な緊張感に包まれた世界は、途中和やかな場面も織り交ぜつつ、また突発的にテンションを高めるという演出の中、あっという間に最終局を迎える。休憩なしの2時間弱という構成は、間を入れることで観客のボルテージが一旦下がるのを防ぐということでもあり、また物凄い運動量を必要とすると推測されるフラメンコ・ダンスにおいて休憩を置かずに演じ切る限界がこの時間なのではないかとも推測できる。
ここで「カルメン」のあらすじを細かく記述することは、有名な劇でもあるし避けることにするが、勝気な若い娘と反目し、男性たちの間を彷徨いながら最後は嫉妬に駆られた男性によって殺されるというカルメンの姿は、虚実合わさった演出の上にもう一つ"現実"という要素を連想させる。ステラ・アラウソがガデスの相手役を勝ち取ったように、今カルメンを演じているステラもいずれこの劇に出演していた脇役の誰かに、その座を奪われることになるのだろう、という現実を。
そういった意味で「カルメン」は、とても残酷な物語だ。しかし私は、残酷さの中にもユーモアとある真実を織り交ぜたこの演目を、まさに目の覚めるような感覚で体感した。そしてアントニオ・ガデス舞踏団のこの演目をもう一度いつか観てみたいと思った。またある時、更にもう一度観る機会に恵まれたなら、その時も観てみたくなるだろうとも思い至ったのである。これが普遍的な伝統芸能、普遍的な物語の持つ魔力というものなのだろうか。
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