1月末、私は久々に川崎競馬場へと足を運んだ。当地における年に一度の大イベント・川崎記念を見に行く為である。川崎記念の発走時刻は16時ごろであったが私は何とか15時半に現地へ到着し、珍しくも人混みに埋められたパドックにて出走馬たちを急ぎ眺め、ドタバタと馬券を購入し、やっとレースの5分前にゴール板近くの立ち位置を確保し落ち着くことができた(と言っても5分前というのはギミックで、往々にして地方競馬場では"馬券販売締め切り1分前"などというアナウンスから3分ぐらいは締め切らない、という現象が起こる)。
ホッと一息ついていると、すぐ近くにいる老夫婦の会話が耳に入ってきた。しばらくはフリオーソという馬の主戦騎手が戸崎騎手に代わってから、どうもこの馬(の馬券)を買う気がしないという話を奥さんが続け、旦那がそれを聞くという感じであったが、やがて大本命のカネヒキリについての話がはじまった。この馬はかつてダート競走の世界で頂点を極めたもののドバイの国際レースに挑戦し敗れ、その後2年半にも渡り再起不能と思われた怪我の為に休養、奇跡的に復帰した2戦目から大レースを連勝中という、実にドラマチックな経歴を持ちながら、やはり芝ではなくダートの馬だからかイマイチ地味目な存在なのである。
「しかしこの馬、この後どのレースに出るんだろうね?」
「え、フェブラリーSでしょ?」
「フェブラリー出るかなあ」
「出るよ、その後またドバイでしょ」
「そっちに行くかなあ?」
夫婦はこのように、目前のレースではなくカネヒキリの今後について会話を交わしていた。奥さんは今後、中央競馬の大レースであるフェブラリーSを経てドバイに再挑戦という、光の当たる表街道を行くと信じて疑わないのに対し、旦那のほうは一度大怪我を負ったカネヒキリを気遣ってか、この川崎記念のような、大レースと言っても裏街道に位置するレースを選んでいって欲しいと考えているようだった。私はその会話を興味深く聞いていたが、奥さんが続けてこんなことを言った。
「でもさ、どのレースに出るとしても、この馬の足はもうガラスだから、一戦必勝だよ」
この言葉は不意に私の心を動かした。そう、おそらくこの馬はどの馬にも増して、いつ再びパンクするかもわからないというところで調教をこなし、レースに出走しているはずだ。目前のレースを完走し、良い結果を出すことが全てで、数レース先までのローテーションなんてことは考えられないのだろう(勿論、馬がそんなことを考えるはずもないが、擬人化して共感するという作業は競馬の一つの醍醐味なのです)。私は急にそんなカネヒキリを愛おしく思い、手元にある馬券にこの馬が絡んでいない事を後悔し出したがもう遅い。その時既に、"馬券締め切り1分前"コールから2分は経過し、いくらなんでもいい加減締め切り時刻になることは明白だったのだ。
レースは、珍しく逃げたフリオーソを、カネヒキリが慌てず最後の直線できっちり捉え勝利。完勝ではあったが余裕を持ってというほどのものではなく、ここ数戦、同じレースを走り続けたフリオーソとの着差が徐々に縮まっているのも気になるところだが、しかしそれでも結果を残すところに、楽勝を続けていた往年のカネヒキリとはまた違った復帰後の凄みを感じさせるという、味のあるレースだったように思う。
そのカネヒキリが22日、フェブラリーSに出走する。復帰後全力で走り続けるこの馬のガス欠やパンクを心配しつつも、一戦必勝の走りを応援せずにはいられないだろう。
2.19.2009
3.10.2008
ワイズマン初体験
いつの間にか名門競馬新聞「ホースニュース 馬」紙が休刊していた。若き時代の数年を競馬に捧げた、と言っても過言ではない私には、一抹の寂しさを感じさせる出来事であったわけであるが、それとは関係なく今、フレデリック・ワイズマンというドキュメンタリー映画監督の特集が都内で開催されていて、ずっと前から気になっていた彼の「Racetrack(邦題:競馬場)」という作品を、私はようやく観る事が出来た。
某日、会場のアテネ・フランセを数年ぶりに訪れると、平日の夕方にもかかわらずシアターの入口付近は数十名の開場を待つ人々で溢れていた。そのほとんどはアテネや映画美学校の生徒であると思われるおしゃれな若者なのだが、スーツを着たサラリーマンや老年層も若干混じっている。中でも目を惹いたのは、明らかに何故か場違いな所へ迷い込んだという面持ちの、片手に競馬新聞を持ったおっちゃんがいて、開演までの待ち時間を明日のレース予想に費やすその姿であった。私はぼんやりと、ここに集う人々の中で最も私とメンタリティーが近いのはそのおっちゃんではないか(何故ならその時、私のカバンにも競馬新聞が入っていたから)と思いをはせ、ある種のシンパシーを一方的に抱いた。
「競馬場」というタイトルながら、映画は競馬場ではなく牧場で仔馬が生誕するシーンから始まるのだが、やがて高速道路を走る車のカットを重ねて舞台は競馬場へと移される。米国の競馬は中央集権的なものではなく、各競馬場が割と独立していて、調教など色々なことが競馬場内で完結される(その意味において「Racetrack」というタイトルは正しい)。淡々とカットが重ねられていく中で、幾つかのシーンにおいては、非常に丁寧で長く時間を取り、合間にはワイズマンが感覚的に捉えた、少し寄り道であるかのようでいて、それでいてその積み重ねによって本質を見出していくかのような映像が繰り広げられていく。当然ナレーションは一切なく、登場人物間の会話も少ない(これはワイズマンの作品では珍しいことであるらしい)。ベルモント・ステークスという大レースを終えて、人がいなくなった競馬場の場面で映画は終了する。造りとしてはドキュメンタリーの王道とも言うべきものだが、そもそもその王道を開いていった一人が、このワイズマンである。
僭越ながら私はこのワイズマン初体験において、競馬という少しは私自身が理解していると自負するジャンルをワイズマンがどのように料理しているかという、巨匠を試すような気分で映画鑑賞に臨んだのであるが、果たしてそのような鼻高々なる目論見は2時間に凝縮された彼の積み重ねによって粉砕された。ワイズマンが元々競馬に造詣が深かったのかどうかは知らないが、知識がなかったとすればその本質を捉える嗅覚に驚愕せざるを得ず、造詣が深かったのであれば、その先入観を取っ払ったかのようなカットの数々にやはり、物凄い嗅覚を感じさせるのである。嗅覚と一言で言っても、それは天性の好奇心に由来するものもあれば、ドキュメンタリーを数々制作するという場数の踏み方によって養われていくものもあるだろう。ワイズマンの嗅覚はその両方を備えているものだ。
贅沢な時を過ごし、映画館を出ると不意に、忘れていた過去がよみがえってきた。ずっと昔に私がはじめて万馬券を的中させ、少なからぬ掛け金を投入していたため大儲けして狂喜乱舞したあのレースに勝った馬が、マイネルワイズマンという名前だったということを。私はこれがワイズマン初体験ではなかったようだ。
某日、会場のアテネ・フランセを数年ぶりに訪れると、平日の夕方にもかかわらずシアターの入口付近は数十名の開場を待つ人々で溢れていた。そのほとんどはアテネや映画美学校の生徒であると思われるおしゃれな若者なのだが、スーツを着たサラリーマンや老年層も若干混じっている。中でも目を惹いたのは、明らかに何故か場違いな所へ迷い込んだという面持ちの、片手に競馬新聞を持ったおっちゃんがいて、開演までの待ち時間を明日のレース予想に費やすその姿であった。私はぼんやりと、ここに集う人々の中で最も私とメンタリティーが近いのはそのおっちゃんではないか(何故ならその時、私のカバンにも競馬新聞が入っていたから)と思いをはせ、ある種のシンパシーを一方的に抱いた。
「競馬場」というタイトルながら、映画は競馬場ではなく牧場で仔馬が生誕するシーンから始まるのだが、やがて高速道路を走る車のカットを重ねて舞台は競馬場へと移される。米国の競馬は中央集権的なものではなく、各競馬場が割と独立していて、調教など色々なことが競馬場内で完結される(その意味において「Racetrack」というタイトルは正しい)。淡々とカットが重ねられていく中で、幾つかのシーンにおいては、非常に丁寧で長く時間を取り、合間にはワイズマンが感覚的に捉えた、少し寄り道であるかのようでいて、それでいてその積み重ねによって本質を見出していくかのような映像が繰り広げられていく。当然ナレーションは一切なく、登場人物間の会話も少ない(これはワイズマンの作品では珍しいことであるらしい)。ベルモント・ステークスという大レースを終えて、人がいなくなった競馬場の場面で映画は終了する。造りとしてはドキュメンタリーの王道とも言うべきものだが、そもそもその王道を開いていった一人が、このワイズマンである。
僭越ながら私はこのワイズマン初体験において、競馬という少しは私自身が理解していると自負するジャンルをワイズマンがどのように料理しているかという、巨匠を試すような気分で映画鑑賞に臨んだのであるが、果たしてそのような鼻高々なる目論見は2時間に凝縮された彼の積み重ねによって粉砕された。ワイズマンが元々競馬に造詣が深かったのかどうかは知らないが、知識がなかったとすればその本質を捉える嗅覚に驚愕せざるを得ず、造詣が深かったのであれば、その先入観を取っ払ったかのようなカットの数々にやはり、物凄い嗅覚を感じさせるのである。嗅覚と一言で言っても、それは天性の好奇心に由来するものもあれば、ドキュメンタリーを数々制作するという場数の踏み方によって養われていくものもあるだろう。ワイズマンの嗅覚はその両方を備えているものだ。
贅沢な時を過ごし、映画館を出ると不意に、忘れていた過去がよみがえってきた。ずっと昔に私がはじめて万馬券を的中させ、少なからぬ掛け金を投入していたため大儲けして狂喜乱舞したあのレースに勝った馬が、マイネルワイズマンという名前だったということを。私はこれがワイズマン初体験ではなかったようだ。
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