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5.29.2009

トリプレッテ

FCバルセロナ、ご存知のようにチャンピオンズリーグにおいても頂点を極め、遂に3冠達成と相成りました。素晴らしすぎるゲーム・・私は未だ、夢の中にいます。

正直言って戦前、現時点で上回るのはマンチェスターUのほうだと思っていました。大方の予想もそうなっていたのではなかったかと思い出しますが、結果だけでなく内容においても相手を凌駕した決勝戦を終えて1つ得た感想(試論)は、"究極レベルにおいて複数の戦術を完璧に駆使するのは不可能"であるということです。

バルセロナは、愚直でした。ポゼッションを極める、その1点に賭けていた。ひるがえってマンチェスターUは、ベンチにワールドクラスのストライカーを2人置き、ルーニーにはサイドで守備をさせるという固いやり方でスタート。このやり方と、ストライカーを2枚並べる比較的攻撃的なやり方の使い分けによって去年のチャンピオンズを勝ち抜き、今年のプレミアリーグも制してきたマンチェスターUですが、どちらのやり方も、この究極の決勝で通用するレベルには、ほんの少しだけ足りなかったのではないでしょうか(相当なハイレベルには達しているのですが)。

そしてバルセロナのポゼッションフットボールは、変な言い方ですが、この究極の決勝で通用するレベル以上の域に突入した感があります。今までに誰も見たことがない、誰もやったことのないフットボール。勿論、少なくとも私がFCバルセロナに注目し始めたクライフのドリームチーム以降(ロブソンが指揮していた時と「ロナウドが戦術」だった時を除いて)、ポゼッションを志向し続けていたチームなのではありますが、今シーズンのバルサは、数年前にロナウジーニョとエトオあたりが最前線で行っていた、短い選手間距離におけるワンタッチでの連続パス交換を、中盤やディフェンスラインでも行うようになり、全体的に物凄く早いショートパスの交換が繰り広げられるようになった。これは実に革新的な変革でした。ハードワークをメリットとするマンチェスターUの選手たちは、ボールの動きの早さについていけず立ち尽くし、ハードワークは殺されました。例えばシウビーニョ。ブラジル人左サイドバックの彼は、決勝に相応しい緊張で強張った表情を終始崩さずに、常に縦へ突破する意識を捨てず、結果としてワンタッチで近くの味方にバックパスという行為を繰り返し続けた。クラブのユース出身でもなく、ドリブルが大好きなブラジル人が高いディフェンスラインでこのようなプレイを貫徹した。ここにバルサの革新性があらわれていると言えましょう。

新しいフットボール・スタイルを披露したバルサ。新しきものは得てして最終的に敗北するものなのですが、今回はやってくれました。決勝戦を観た我々はまさに、歴史的な瞬間を目の当たりにしたのだと思います。ただひとつだけ、このような奇跡を、贔屓のチームが成し遂げたという100年に1度あるかどうかという体験を、おそらく一生の中で二度と体験できないのであろうということが寂しくも、悲しいことです。

5.07.2009

CLクラシコCL・・・そしてコパデルレイ

日本では大型連休。その間、FCバルセロ~ナはチャンピオンズリーグ準決勝の合間にレアルマドリーとのクラシコを挟むという、大変厳しいスケジュールを消化したわけであるが、いやはや、素晴らしい成果を残してくれましたよ。

まずはチェルシーとのCL準決勝第1戦。10人で守りドログバ先生1人に攻撃を託した相手を"アンチフットボール"とは責めますまい。これもまたフットボール。実際に、強豪を相手に守りきるカタルシスというのは私、普段からフットサル大会に出場する度に目標とし、しばしば達成して得る感覚なので、理解できるところなのでございます。ホームで0-0という結果はこの時点では案外悪くないと思いました。アウェーゴールを奪われなかったことで、第2戦での1-1による勝ち上がりが可能となったからです。そういう意味では、ドログバのカウンターを1人で防いだバルデスのセービングは実に大きかった。

そしてエル・クラシコ。ベルナベウで2-6という結末は既に「今後30年語り継がれる」などという評判を呼び、リーガ優勝を決定づけるものとなりました。今更内容については何も申しますまい。このレジェンド・ゲームを現地で観戦したかったという悔しさこそあれ、私は完全に試合の内容・結果と、付随するリーガ優勝ほぼ確定という事実に満ち足りて、「チャンピオンズなんてどうでもいいや」という気分になってしまったわけです。

元々今シーズン開幕前、悲観派クレの私はペップ新監督の経験不足を心配し、「リーガは2位以上、CLはベスト8以上、国王杯だけはそろそろ優勝しておきたいなあ」などという希望を掲げておりましたが、今目前にあるのは3冠全てを現実的に狙えるという状況。悲観派としては「そんなにウマくいきっこない」というムードに支配される中、CLの準決勝第2戦が行われました。この試合、実はまだ観ていないのですが、なんとロスタイムの同点弾による1-1での勝ち上がり!伝説のクラシコによる記憶を早くも塗り替えるような、劇的な結末であった模様でございます。

ここまで良い結果が続くと、3冠もいける!と思いたくなるものですが、それでも私は、残念ながら決勝でマンチャスターUに負けてしまうのだろう、と腹を括っております。今まで散々、期待を裏切られた歴史が私をここまで悲観させるのかもしれませんが、私の心は今、既に獲得同然のリーガタイトルでもCLのビッグイヤーでもなく、国王杯でアスレティック・ビルバオを打ち負かしていただきたいという方向に向いているわけなのであります。

10.03.2008

変わるものと変わらぬもの

日曜の夜、家族が大河ドラマの「篤姫」を欠かさず見ているので、私も付き合ってだいたい見ている。そして、良くできているなあと基本的には感心する一方で何か心に引っかかる物足りなさをいつも覚えるのだ。その正体は何だろう?

といったところで過日(1ヶ月ほど前だが)、久しぶりに映画を見てきた。ケン・ローチの最新作「この自由な世界で」である。物足りなさの欠片もない、というよりもむしろ、見た者の心をシリアスな空気で破裂させるかのような充実したドラマがそこにはあった。以下ネタバレ多少あり。

舞台は現代、ヨーロッパ、英国。好景気を謳歌するこの国には多くの移民労働者が移り住む。主人公のシングルマザーはポーランド等からこういった移民労働者を英国に斡旋するエージェントの一員として働くがトラブルにあってクビになる。バイタリティー溢れる主人公は自らエージェントを立ち上げ、英国内でくすぶっている移民労働者たちに職を紹介しはじめるが、ぎりぎりの資金繰りで続けるうちに、やがて法に触れた行為に手を出すようになる・・といったストーリーが展開される。まさしく、自由主義経済の下での現代的な課題に正面から向き合った映画だ。タイトル(「it's a free world」、邦題はほぼ直訳ですね)もまた秀逸である。

ここで描かれる世界は主に、移民労働者からの搾取という極めてリアルな問題を提示しているのだが、私が思うにこのドラマへリアリティーをもたらす要因は、緻密な取材を繰り返して構成していったことを想起させるその舞台設定やストーリーの大枠のみならず、主人公とその友人が繰り広げる心模様とその行為の描写にあるのではないか。新たな移民ではない、元来英国市民である彼女たちもまた、エッジの上を歩くような状況下でハメを外したり、真剣になったり、より困っている者へ施しを与えたり、地獄へ突き落としたりする。そういった彼女たちへ映画を見る者は、同情こそすれど支持することも憎むこともできないだろう。映画を見終えた観客はよりマクロな視点で、現代が抱える問題について考えることになるのだ。

と「この自由な世界で」を見た後しばらく、私もマクロな感じで諸問題を考察したりしていたのだが、そんな中でふと、「篤姫」は何故少しばかり物足りないのかというミクロな事象について解答を得たような気がした。「篤姫」の登場人物は主人公である姫を除いてほとんど皆、ドラマの中ではじめに持たされた信条をほぼ変えないのである。姫は様々な人物に出会い、その信条に触れ、ほう・・そういう考え方もあるのか、と吸収していく人物として描かれ、それぞれの信条を持った脇役たちもそれによって善悪では判断できない魅力的な存在となるのであるが、脇役たちがこうして輝けるのは全て、主役の姫がそれぞれの立場を理解できるからこそだ、という仕組みになっている。

つまり、「この自由な世界で」と「篤姫」は、支持することも憎むこともできない中立な人物像をあぶり出す仕組みが異なっている。「この自由な世界で」の主人公たちは、ある特定の人物や出来事によって善悪の彼方へ導かれるのではなく、ドラマの世界観全体によって導かれるのだ。

「篤姫」の仕組みはストーリー作りの一手法なのであろうが、現代において、「この自由な世界で」のような世界においてリアルではないだろう。無論「篤姫」の世界は江戸末期、100年以上前のことで、現代的なリアリティーを求めるのには無理があるのかもしれないが、当時の人々も時代の変革期において、難しい局面で判断を迫られ、心情や行動にぶれが生じると考えたほうが自然で、完成された人物像ばかり見せ付けられてもその時代錯誤(現代とのギャップ)に白けてしまう。まして今、放映することの意味を考えると、やはり大河ドラマといえど今という時代が抱えるものに投影するようなものであって欲しかったと思う。良くできたドラマだが、根本的にそこが私にとっては残念なところなんだな。



余談だが、「この自由な世界で」を見て、イギリスにおける移民労働者の実態を思うと、フットボールファンの私としてはやはり、ベルバトフ(ブルガリア人)やシェフチェンコ(少し前まで英国にいてイタリアへ戻ったウクライナ人)といった移民を供給する側の国籍を持つストライカーたちが、搾取される労働者の偶像としての存在感を強めているのだと想像せずにはいられない。映画の中にも何気なくかつ示唆的に、移民たちがボールを蹴っているシーンを見ることができるが、イングランド人のストライカー達がイングランド人労働者階級のアイコンであった時代は移ろい、資本(これも国際的になった)が移民供給国のストライカーを買い漁り、そしてイングランド人の優秀なストライカーはほぼ絶滅したのである。

対岸の火事と侮るなかれ。Jリーグとブラジル人選手、それと日本が多く抱えるブラジルからの移民(ついでに優秀な日本人ストライカーが現れない現状)との関係についても、考察してみる必要があるのかもしれない。

8.26.2008

北京五輪雑感2 -サッカー-

さて私の大好きなサッカーですが、当然このオリンピックでも注目しておりました。最大の目玉はやはり、直前まで出場・欠場を取り沙汰されたメッシ(中国名:梅西)のプレイなのだろうが、ニュースのダイジェスト映像以外では決勝戦しか見れませんでした。もう彼の場合は、調子の上がらない試合でもなんとなく見せ場を作ってしまう域に達してきたようで、いよいよ超一流の仲間入りといったところに見えた次第であります。今シーズンも楽しみだ。

そこで、ほぼTVでフル観戦できたオリンピック日本代表の話に焦点を絞るが、女子の4位というのは事前に快進撃を予想していた通りになって、嬉しかった。他のチームと比較して特筆すべき点は終盤まで走り回れるその運動量だろう。相手の足が止まった後も、日本代表の面々は動き回っていた。ニュージーランド戦で追いついたのはまさにその長所が結果に出たものだったし、それ以降の試合も、例え劣勢にあっても最後まで期待を持たせてくれた。

難点を言うなら監督の采配と、キーパーだろうか。佐々木監督は大会前に「銅メダルなら十分狙える」というような発言をし、大いに選手の士気や視聴者の期待を煽った。この良い意味でペテン師的な行為は名監督と呼ばれるような人によくあるもので、この時点では佐々木氏の資質を大いに評価したくなったのだが、実際の試合を見る限りでは、縦に急ぎすぎる攻撃を序盤から最後まで貫く単調さが目に付き、選手交代が遅すぎるのも気になった。あの攻撃陣なら、もっとゆったり繋ぐサッカーができただろう。それでも、アイデアのない人ではないだろうという予感はするので、今後に期待したい。またキーパーのキックが精度に乏しいという技術的な問題も、いくらでも今後の練習によって解決できる話だろう。それにしてもやはり沢選手は一人、急ぎすぎる攻撃パターンの中でリズムを変えられるという点で異彩を放っていた。

男子もまあ、3戦全敗というのは残念ながら予想通りであった。相手が強いのだから仕方がない。
その中でも今後更に伸びそうな若手を幾人か確認することができた。特に内田選手などは、この1年だけ見ても飛躍的にプレイヤーとして向上している。思うに、従来日本代表チームは低い世代のカテゴリーであるほど結果を残してきたのだが、クラブチームなどの選手育成が浸透してきたことによって、選手の成長曲線が全体的にゆるやかな、年を取ってから向上していくというようなものに変化しつつあるのではないか(例えばイタリアのような)。中村俊輔や松井大輔といった選手たちが、20代後半になってからも目に見える成長を遂げていることなどが、それを裏付けているような気がするのだ。それに、柏木・梅崎などといった優秀な若手が選ばれないほど選手層が厚くなっていることも見逃せない。それこそメッシのように突出した存在は今だ現れないが、日本人サッカー選手全体の底上げは確実に進んでいる、と見た。

しかしまあ、難点は当然ながらある。やはりオーバーエイジ枠を活用してもらいたかった。オリンピックのサッカーについては完全に育成の機会と捉え、結果を不問とする国も数多く存在するのだが、JFAの態度は明らかにそれとは違っていたはずだ。それなのにきっちりとオーバーエイジの選手を確保できなかったというのは反町監督だけの責任では決してないであろう。私個人としては、中澤・中村憲・大久保を招集してもらいたかった(遠藤など体調不良だった者や海外組は除く)。反町ジャパンのコンセプトは簡単に言えばサイドアタック。しかもFWに高さのある人材を揃えない、ということは、サイドアタックからのセンタリングへFWに加えMFやDFの飛び込みを併せた数で勝負する、というものであったはずだ。それなのに、選ばれたMFの面々にはゴール前に飛び込んでいくというプレイオプションがなかった。これは大きな矛盾点だ。先述の私的希望オーバーエイジ選手たちには、そういうプレイができる。

男子サッカーに参加した国のうちオーバーエイジを活用しなかったのは、日本を含めわずか2ヶ国だったそうだ。不況が囁かれ始めている日本サッカー界にとって、この結果を出せず過程にも問題があったオリンピック男子の姿は、大きな痛手であろう。

2.08.2008

再会

引越しは無事終えたものの、元々散らかってた一軒家に輪を掛けて山積みとなったダンボール箱や棚などを徐々に片付けなくてはならないというプレッシャーを感じつつ、雑事などの合間にそれをやってしまおうという気概がいまいち湧いてこない2月初旬のある日、私はとある7人制フットサル大会へ出場することになった。以前在籍していた会社の社員によるフットサル大会である。

以前と言っても既にその会社を辞めてから8年は経っているのだが、同期入社した友人たちとは今でも交流がある。その中には私と同様に、未だにボールを蹴っている奴もいて、そいつに誘われたというのが出場に至る経緯なのだが、大会2週間前に参加した練習で、私が入るチームにはその友人以外に知った顔が存在しなかった。しかもその友人は急用により大会には参加しないことが明らかになり、私は一度、出場を躊躇したのだが、事前練習で出会ったチームの面々が気さくな人たちだったことと、もう一つ、再会してみたい人が別のチームから大会に出るはずだという予想が後押しして、結局私は参加することにした。

当日、会場が家と近かったので自転車を漕いで向かった先は、200人を超そうかというプレイヤーであふれていた。23チーム参加による大きな大会だったのだ。会場をうろうろして、2週間前に会ったチームメイト達を見つける。相変わらず気さくに対応してくれてホッとする。そして隣に陣取る敵チームを見やると、偶然にも私が再会したいと思っていた人がその輪の中にいたのである。

その人は私の直属の先輩だった。大学を出たばかりで社会の何たるかをまるでわかっていなかった私に、社会での振舞い方を教えてくれたのはその先輩だ。押し付けるでもなく、それでいて甘やかすでもなく、少なくとも当時の私にとっては非常にありがたい接し方で、色々なことを結果的に教えてくれた人である。彼とは私があっさりとその会社を辞した後もしばらくは交流が続いていたが、ここ数年は連絡を絶やしていた。

挨拶する間もなく我々の初戦が始まったのだが、試合の審判はその先輩だった。三浦カズと同年齢であるその先輩は私が知っている当時、会社のサッカー部で主力として活躍していたが、今でもサッカー部で活動しているようで、その関係から審判を兼ねているのだ。試合前にセンターサークル付近で並ぶと自然に目が合い、お互いの顔がほころんだ。「お久しぶりです」「おお、久しぶり」と声を掛け合いながら握手をしていた。しかしまあ、試合直前なのでこの場はそれっきりで終えた。

私の不出来もあってチームは初戦を落とし、同じ予選グループに所属する先輩のチームは次元の違うサッカーで初戦を完勝していた。プレイヤーとしてだけでなく審判としても活動する彼とは積もる話に花を咲かせる間もないまま、我々は2戦目にその先輩がいる強豪チームと対決することになった。我々のチームは15人ほど所属する大所帯で、初戦に長いこと出ていた私は出場を遠慮して、対決を眺めていた。カズと同い年の先輩はカズのように(と言えばさすがに大げさだが)衰えを見せることなく躍動していた。ピッチの最後尾から的確にボールを散らし、機を見てはオーバーラップして攻撃に絡むという動きを見せていた。私にはそれが眩しく見えた。しかし圧倒的な実力差をものともせずに我がチームは粘りを見せ、同点のまま終盤を迎える。「・・さん、お願いします!」不意に私へ声が掛かった。今や我がチームは優勝候補相手に引き分けるという目標へ向け一丸となっていた。素人交じりのこのチーム内において客観的に見てもキープ力に長けている私はチームの総意を汲んで、かつてのブラジル代表におけるデニウソン(と言うのは本当に大げさだが)の如く、ボールを受けるとサイドライン付近でドリブルし、とにかくボールを失わないよう必死でキープして時間稼ぎをした。

タイムアップ。我々が優勝したかのように大騒ぎする横で、熱血漢でもあるその先輩は自らのチームメイトを呼び集め、反省会を開いていた。あるいは私が最後に見せた嫌らしいプレイが彼に火を点けたのかも知れぬと想像すると、何やら微笑ましかった。会話がほとんど無くとも、同じ場所でボールを蹴りあっているだけで会話を遥かに越えたのコミュニケーションがしばしば成されてしまうというのがサッカーの醍醐味であるが、まさにそういった空気が私と彼の間に漂っているような気がした。

その後先輩のチームは反省会の甲斐あってか、予想通り圧倒的な力を誇示し続けて優勝し、我々も健闘し上位へ食い込み賞品まで頂いた。その先輩とは対決の後、合間を見て少しだけ会話する時間が出来た。簡単な近況報告の後、ふと私が「しかし、僕とIさん(その先輩)が一緒にいた頃のIさんの年齢を、僕はいつの間にか超えてしまいましたよ」とノスタルジックなことを洩らすと、彼も遠くを見ながら「そうだな・・これからの何年かもあっという間だぞ」と、やはりノスタルジックに返した。私はその一言だけで、十分に満ち足りたのだった。二人はいつかの再会を約束して別れ、私は自転車にまたがり帰路へと向かった。

12.29.2007

パラメヒコ

今年も年甲斐もなく随分とサッカーやフットサルをプレイしたものだが、先週末の土曜にフットサル、そして日曜にサッカーの大会へ出場することでボールの蹴り納めとなった。しかしスパイク着用OKのサッカーに出場するのは数ヶ月ぶりのことで、ちょうど私は2足持っていたトレーニングシューズのうち1足を履き潰してしまっていたこともあり、せっかくだから久々に新しくスパイクでも購入しようかという気分になっていた。

土曜の早い時間にフットサルを終えた後、帰りがけにスポーツショップへと向かった。棚には数多くのシューズが陳列していて、その時点ではスパイクを買ってもいいかなと思いつつもトレーニングシューズでもいいやと、更に言えば金欠気味だし1足残ったシューズで明日の大会に臨んでもいいかなと、非常に優柔不断な態度で棚を眺めていたのだが、やがて一対の白いスパイクが目に留まった。

プーマのパラメヒコである。この靴は昔、私が中学や高校のサッカー部に所属していた頃には既に存在していたブランドで、当時カンガルー革製と謳うこのスパイクの性能と、耳慣れないスペイン語のネーミングには大いに惹かれていたものの、定価2万弱という価格設定に手を出せず、泣く泣く所有が叶わなかった青春の思い出詰まる一品なのだ。だが、なんとそこに置かれている白いパラメヒコには超特価と銘打たれ8000円台の値札が貼られていた。

「おーい」
私は、フットサル後もショッピングに付き合ってくれたMを呼んだ。
「これどう思う?」「おっ、パラメヒコじゃん。懐かしいなあ。」
どうやらMも青春の思い出を共有していたようだ。これが後押しとなり私は齢30を優に越えてからようやく、カンガルー革のパラメヒコホルダーとなったのだ。物を粗末に扱う悪癖のある私にしては珍しく、帰宅後すぐに取り出して丁寧に靴紐を通す。一穴通すごとに新品スパイクへの愛しさが募る。

あくる日、天気予報は雨だったがサッカー大会の時間には嘘のように空は晴れていた。平均年齢30台半ばの我がチームは、一回りは年齢が下と見られる他の参加チームを相手に決勝トーナメント進出を目指して戦いに挑んだ。が、あっという間に初戦を0-1で惜敗。
「あーもったいなかったなあ。今の相手が今日対戦する中で一番弱かったんじゃないの?」
なんていう声が仲間内で上がった。ということは、予選リーグの残り3試合を大差で敗北することになるのか・・別の仲間がこんなことを言った。
「(野球の)野村監督が、勝敗を決めるのは強弱ではなく、チャンスをものにするかどうかだと言ってましたよ!」
初戦は、良く守ったものの得点チャンスゼロだったんだけど・・

ともあれ、そんな檄が利いたのかどうか、2戦目の我々はディフェンスラインを高くして攻撃的に挑んだ。相手の攻めを守備の要・Hがカット。カウンター攻撃のチャンスである。そのまま中央でフリーの私に縦パスが渡り、前を向くと丁度、Sさんが後ろ向きながらもゴール前右寄りの位置でマークを外したところだった。私は迷わず右足を一閃する。インサイドで強く蹴ったボールは長い距離を滑ってSさんの足元へ。Sさんはそれをヒールで左にはたき、そこに飛び込んだMがゴールに流し込む、先制点だ。おおパラメヒコよ、おまえは早速美しい得点に絡んだぞ!

この試合は点の取り合いとなり、3-3の引き分けで終わったが、私は密かに"あの一蹴り"に満足してしまっていた。そしてこの後は、普段はサイドでのドリブル突破を無上の喜びとしているにも関わらず、"今日はパラメヒコでスルーパスを出す日"と勝手にテーマを決めてピッチ中央を王様の如くうろうろする時間が続いた。しかしあとの2試合は実力差があり過ぎて完敗。我々の大会はここで終わりを告げた。

1分け3敗という結果を残したが、それでも私は更に別の満足感を得ていた。ニュースパイクを着用しながらも、4戦を終えて靴づれができなかったのである。こんなことは今までになかったことで、さすがカンガルー革だと一人悦に入ってしまった。来年もパラメヒコと共に頑張ります。

10.17.2007

自転車で帰郷

帰郷なんて書くと大げさだが、去る週末に現在居を構えている板橋から実家のある藤沢までを自転車で往復することにした。復路の途中、あざみ野でフットサルを2時間プレイするというオプション込みでの挑戦だ。オプションを除いて考えても、十日町まで行った経験以外では今までで最長の距離を走ることになる。

思えばこの夏、私は昨年と同様にどこか遠くまで自転車で行ければと願いつつも叶わず、その間の暴食もたたって気がつけば中量級のK-1マックスに出場できるか怪しいところまでに体重が増加していた(もちろん、K-1側からオファーが来ているわけではない)。十日町遠征時に激ヤセした効果の再現も少し期待しつつ、予定よりやや遅い14時過ぎに板橋をスタート。目標時間はやや余裕を持たせて、6時間と設定した。

実は1年前十日町へ行って以降、私の愛車はメンテナンス不足もたたって不調を極めた。複数の部品が壊れ交換し、2度に渡って自転車屋にメンテナンスをお願いした。スーパーマーケットで購入した安物のBMXなので、さほど耐久力も強くないのであろう。新車購入をも視野に入れている私は、この自転車とのロングツーリングも最後かもしれないという感傷を抱きながらペダルをこぎ始めたのであるが、意外やこのツーリングは順調な滑り出しとなる。

山手通りを南下し、神泉からR246を西へ。二子玉川到着までに休憩含め2時間と見積もっていたが、30分も早くかの地を通過する。事前にメンテナンスを行っていた甲斐あって愛車の調子がいい。工事中の山手通りも、車道を走るのが難しい代わりに工事の好影響で歩道がやたらと広い。こういう時に車道と歩道を選択しながら進めるのは段差に弱いロードバイクと違う、BMXのいい所だ。

途中ラーメン屋にピットイン。自転車をこぎ続けると実に腹が減るので、これはダイエット中といえども仕方がなかろう。R246も神奈川県に入ると坂が多く、また自転車通行を禁じた箇所も増えて、スムーズに事は運ばなくなる。が、あざみ野通過を想定時間の1時間も早く達成してしまう。これは随分と早く実家に辿り着いてしまうなと思ったが、夕暮れ時になり、闇の世界が私に迫っていた。このまままっすぐ西へ行くと、境川を越える。神奈川県中部を流れ江ノ島付近に河口を持ち相模湾へと続くこの細い川に沿って自転車道が整備されているという情報を事前に仕入れていた私は、R246を降りて少し迷いながらも境川の自転車道を発見し、下流に向かって進むことにした。

しかしその時点ですっかり夜になっていた。自転車道はそこそこ整備されているものの、照明など何もなく大変暗い。この先スピードダウンを余儀なくされた私は持ち合わせていたipodから流れる音楽を聴きながら、ひたすら田舎道を進んだ。自転車道ということで自動車に気兼ねせず走れるのは大変好ましいのであるが、コンビニや自販機などがまったく存在せず休憩スポットを設定できないのはつらい。暗がりの中を、多少感じてきた疲労感と戦いながらゆっくり進んでいくと、ipodから友人の弟(ラッパー)がリリースした曲が流れてきた。横浜の、それも特にドリームランド周辺をテーマにした曲に耳を傾けていると、本当にドリームランドの夜景が見えてきた。このあたりはそれこそ自転車で、中学生時代に走っていた地域だ。引越しを繰り返してきた私に久しく訪れなかった"地元愛"のような感覚が、疲労と相成って湧き上がった。そこからはかつて知ったる道を辿りながら、実家に到着した。出発から5時間、当初予定より1時間早かったが、あざみ野通過時点からは予定を短縮することができなかった。

あくる日、実家で英気を養った私は16時にあざみ野で開始するフットサルに向けて13時前に実家を出発した。境川沿いを戻っていくつもりであったが地図を見たらドリームランド付近から環状4号-中原街道といった道を行くほうが距離としては短いはずだとわかったので、昼の境川にも未練はあったものの、距離短縮を優先させることにした。

東京と比べて、横浜はアップダウンの多い地形だ。往路にもそれは実感したが、復路の環状4号-中原街道において私はそのことを痛感させられた。それでも黙々とペダルを漕いでいくと、あざみ野のフットサルコートには2時間強でたどり着いてしまった。涼やかな秋の曇り空の下、びっしょりと汗をかいた私はアイスクリームをほおばりながら仲間の到着を待った。

程なくして仲間も集い、フットサルが始まった。事前の予想では、私はこの時点でボールを追いかけて走れるような体調にはないだろうと思っていたのだが、実際に相当疲労していたにも関わらず私はパブロフの犬が如く、スペースがあればそこへ走りこみ、カウンターを食らえばあわてて戻るという行為を繰り返していた。2時間後、疲労し切ってしまった私は「帰りたくない」なんていう我侭を仲間に洩らしながらも、帰らなければならないという現実に直面しつつ、重い足を回し始めた。往路は2時間で済ませた距離を、再びラーメン屋込みで3時間かけて板橋に至ることとなった。シャワーを浴びてから計量したところ、私の体重は1.5キロ減少していたのだった。

6.27.2007

「世界難民の日」フットサル大会

先日、友人達の誘いに乗って「世界難民の日」フットサル大会という催しを観戦した。今年で4年目を迎えるというこの大会は、協力・後援の一覧にJICA(国際協力機構)やUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などの公的な名前が並び、ゲストに岡田武史・元サッカー日本代表監督のようなビッグネームを招きつつも、都内の公立中学校グラウンドで実にアットホームな雰囲気の中開催された。ちなみに岡田氏はこういった国際問題に関心があるのか、第1回目からこの催しに協力をしているのだそうだ。

ところで難民について少しウンチクを語ろう。
「人種・宗教・国籍・政治的信条などが原因で、自国の政府から迫害を受ける恐れがあるために国外に逃れた者」と難民条約によって定義付けられたいわゆる政治難民の他にも、天災や戦争、あるいは経済的な理由によって別地域への移動を余儀なくされた人までも加えた広義の難民は、世界に何千万人と存在しているらしい。こうした人たちを受け入れ、救済するような国際条約の類は徐々に整備されていき、日本もそれらに加入しているのだが、他諸国に比べ受け入れ人数が少な過ぎるという批判を受けている様子。調べたところ、1982年から2005年の間に日本で難民認定を申請した人は3928人、その内認定された人は376人という数字が出てきた(法務省出入国管理局発表)。ウンチクはここで打ち止めとするが、とにもかくにもこういった人数の日本在住難民たちが、出生地区毎にチームを結成して、フットサル競技で優勝を争おうというのがこの大会の流れなのである。

参加チームは*ビルマ(2チーム)、ラオス、カンボジア、ベトナム、クルド、アフガンなどに加えて難民を日ごろサポートしている日本人弁護士チームなど、計12チーム。予選グループリーグがはじまった。レベルは結構高い。私自身普段からフットサルをたしなんでいるのだが、たまに参加するフットサル大会で「強いなあ」と思わせる相手チームのレベルと遜色ないぐらいだ。特に目を惹いたのは、難民チームたちのシュート技術である。パスやドリブルはそこそこでもシュートだけは各チームとも実に強烈かつ正確だ。話が飛躍しすぎていることは承知だが、よくサッカー日本代表について語られる「決定力不足」というレッテルについて、なるほどなあと追認してしまうような光景が各ゲームで繰り広げられていた。

様々なチームが出場している中で、私はビルマのチームに着目した。というのは大会のパンフレットに、"ビルマは軍事政権になる前の1975年にアジアのサッカーチャンピオンになった""その頃トップレベルだった選手が参加している"というような件が紹介されていたからである。私は、誰がその選手なのだろうと思いビルマのゲームを凝視した。しかしビルマチームの選手は大半が小太りのおじさんで、明確な見分けがつかない。特にこれといったスーパープレイもないままそのゲームは進み、凝視し続けていた私の緊張がふっと緩んだ刹那。コート中央でビルマの小太りおじさんがパスを受けた。前に相手のマークは1人。おじさんは、全く体を弛緩させたような状態で上半身を揺らした、見事なフェイントだ!マーカーの動きを無力化させ、抜き去る。そして数歩進んでシュート。ボールはサイドネットに突き刺さり、私はその一連の動きにしばし釘付けとなった。

友人達へ「誰がトップレベルの選手かわかったよ」と自慢げに話す私。だが、プレイは覚えていても顔や体系は覚えていなかった。他のビルマ選手達と酷似していたからだ。それでもまあ、次の試合からもスーパープレイを見せてくれるだろうと期待して、その後もビルマの試合には注目していたのだが、ビルマはその後、輝いたプレイを見せることなくベスト4で敗退した。決勝にはユニフォームを揃え新しいスパイクを皆履いた、比較的資金力があると想像させるカンボジアとベトナムが勝ち上がった。

いつの間にかビルマを心から応援していた私にとって、この決勝戦はほとんど興味のないものとなっていた。

*ビルマについては現在、ミャンマーと表記されることが多いのですが、ミャンマーという呼び名にすることを要請したのは現軍事政権で、国交を結んでいる日本としてもそれに倣ったという経緯と、その軍事政権に反対している難民が本稿の主題であったということから、ビルマという表記に統一しました。なお今大会は、選手たちのプライバシーを考慮して写真撮影禁止ということになっており、様々な写真を公開している姉妹サイト(世界の風景(仮))にもその様子はアップロードされないことをご了承ください。

5.24.2007

「GOAL !」謎のカットについての妄想的考察

先日、TVで放映されていた映画「GOAL !」を観賞した。今週末には続編も公開されるそうだ。

映画自体は元々の期待値が低かったこともあり、案外と楽しめた。主人公がリザーブリーグからトップチームへと昇格するあたりの演出には良い意味でのハリウッド的スペクタクルを堪能することができたし、脇を固めるスティーヴン・ディレイン、マーセル・ユーレスといった俳優の演技も見ごたえがあった。ストーリーの設定にもギリギリのリアリズムを感じさせるものがあった。

しかし私がここで展開しようとしているのはそういった映画の全体的な感想ではなくて、ハイライト・シーンに存在する1つの摩訶不思議なカットについてである。主人公サンティの所属するチームは大事なゲームの終盤、相手ゴールから右よりの位置でフリーキックの機会を得て、それをサンティが見事に直接ゴールへ蹴り込むのであるが、彼はその時左足でフリーキックを蹴るのである。それまでのシーンで幾度となく右利きであることを証明しているのにも関わらず、である。

これを見たサッカーを少しでも知っている観客の9割方は、首をひねったはずだ。それぐらいこのカットには違和感がある。一体どのような経緯を経てこのカットが採用されてのであろうか。

まず考えられるのは、演出上「相手ゴール右よりの位置からフリーキックを蹴らせる」必然性があった、ということである。通常右よりから蹴る場合は左足でフリーキックを蹴ったほうが都合は良い。逆に言えば左よりの位置から蹴るのであれば右利きのサンティが右足でフリーキックを蹴る、という設定で問題がなくなるのだけど、その場合カメラは正反対の位置取りをすることになり、例えばキックするサンティの背景は違うものとなる。このカットは大分引き(つまりキックする主人公が小さく、その分背景が大きく映る)のサイズで撮影されているので、"引き"のサイズであることを優先事項とすれば、背景の重要性も増すことになる。しかし舞台となったサッカー場(セント・ジェームス・パーク)のことはあまりよく分からないけど、メインスタンド側とバックスタンド側で、右利きの選手が左足でフリーキックを蹴るという違和感を無視しなければいけないほど、そんなにも風景が異なるものだろうか?しかもピントは主人公に定められているので、背景はボヤけているというのに・・

次に考えたのが、続編以降へつなげる示唆という可能性についてである。この映画は最初から3部作ということで製作されているらしく、続編でサンティはレアル・マドリッドに移籍するようなのだが、そのことを示唆するシーンは存在している。ストーリー上全く関係のないマドリッドの選手(ベッカム・ジダン・ラウル)が登場する一幕が用意されているのだ。こうした演出と同じように、続編あるいは続々編においてこの主人公は、突然自分が本来左利きであったことに目覚め、スランプを克服する、といった破天荒なストーリーが待ち受けているのではないか。しかしこの仮説にも問題がある。私は冒頭でこの映画の根底に流れるリアリズムについて触れた。その詳細に触れることは避けるし、リアリティーのある映画こそが良い映画だと言うつもりも更々ないが、ハイライト・シーンまで持ちこたえていたギリギリのリアリティーが件のフリーキックシーンでいきなり破綻したことに私は疑念と興味を持っているのであり、「実は左利きだった」という破綻の上塗りが真相だったとすれば、それまでのリアリティーは一体何だったのかということになる。

最後に考えたのが、「映画制作における分業の徹底と監督のイマジネーション」ということについてである。映画やテレビの世界では、通常サラリーマンがビジネス活動をするような感覚では考えられないほと分業が徹底していて、その中にはもちろん、今問題にしているような「違和感」を指摘して注進するという役割だけに没頭するという人もいるのだが、その人が当然このフリーキックシーンの違和感に気付いたとして監督やプロデューサーにその声が届いても、最終的な演出上の決定権を持つのはやはり監督ということになる。この映画を撮った監督は、ハイライト手前まで通じていたリアリティーを見る限り、サッカーとそれを取り巻く状況を知らない人ではあるまい、というよりも、よく知っている人なのではないかと思う。そんな人が何故右利きの選手に左足でフリーキックを蹴らせたのか。

話は逸れるが、「フチボウ-美しきブラジルの蹴球」という本がある。この本は非常に面白くて、私のようにある程度はサッカーについて知っているという自負のある者の価値観を叩き割るような力が、紹介されているエピソードの数々に備わっている(特にガリンシャという選手にまつわる話は、サッカー好きには必読に値すると思う)。「GOAL !」の監督はもしかしたら、元々知りえていたサッカーについての物事を一旦壊しにかかるような作業を自らに課したのではないだろうか。その過程に「フチボウ」が関わっているかどうかはともかく、既成概念を破っていく道程において監督はふと、「別に右利きの奴が左でも同等に蹴れたっていいじゃないか、むしろ左で蹴ることに意義があるんじゃないのか」なんていうことを考え、「この思いつきはフットボールの概念を超えた素晴らしいアイデアだ」と思うに至り、周囲に違和感を指摘されても頑固にそのアイデアを守り通したのではないか?

以上、1映画の1シーンについての考察をまとめてみたのだが、真相はどこにあるのだろうか。私は案外、一番最後に書いた妄想めいたものがそれに近いのではないかと思っている。ところで今から数十分後にはプロサッカー界における今年のハイライト・UEFAチャンピオンズリーグ決勝戦が開催されるわけだが、できうればサッカーの既成概念を打ち破るようなとんでもないプレーを見ることができたら素敵だな。

2.23.2007

チャンピオンズリーグの生ストリーミング観戦

先日のこと、ふと朝4時に目覚めた私は、その45分後に開始するUEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)のバルセロナ・リバプール戦をどうしても観たくなり、久しぶりにインターネットのストリーミング放送による生中継観戦を試みた。

そうは言っても、私は"スカパー!光"などのいわゆる正式な観戦ルートを持っているわけではないし、朝4時の段階で今から45分の間にそういったサービスへ加入することもできないから、簡単に視聴環境を整えるというわけにはいかない。実は1年ほど前にも、同じように昨年度のCLバルセロナ・ACミラン戦を生観戦しようとして悪戦苦闘した思い出がある。

その時は様々な角度からの検索を試みた結果、世界中のストリーミング放送を網羅するリンク集(http://wwitv.com/television/index.html)を発見し、その中のリンク先を1つずつ見て行った結果、目当ての番組がフィリピンのスポーツ局で流れていることを1時間ぐらいかけて発見することができた。バルセロナのサッカーを観る事が出来る喜びというよりはむしろ、フィリピンのサイトに行き当たるまでの苦行の成果が目前に現れていることへの達成感によって満足を得ていたことを覚えている。

その思い出を参考に、まずはフィリピンのスポーツ局へアクセスしようと思ったが、今はリンク集から外されていた。従って私は、再びリンク先を1つ1つ当たってみるしかなくなったのだが、1年前に身につけたノウハウというのが1つだけあって、そのノウハウによって、全てのサイトにアクセスすることなくアクセス先を絞り込むことにした。

ノウハウといっても大したことではなく、それは"先進国のストリーミング放送ではCLを生中継したりしない"というだけのものだ。先進国といっても純粋経済的な物言いとはニュアンスが異なり、サッカー中継に対するビジネス感覚や、ストリーミング放送そのもののビジネス的成熟度という項目においての先進国ということになるが、CLのような大イベントをネット上で無料生中継するとなると、この2項目について大らかな、発展途上の国でしか行われていないはずだという試論(+若干の経験則)は、この場合かなり有効なノウハウになっていると言えるのではないかと自負するところである。

とまあ、こんなニッチなところでのノウハウを朗々と語っても仕方のないことだとは自覚もしているが、とにかく西欧など"先進国"のサイトは避け、こつこつと作業を続けたところ、試合開始2分後ぐらいのタイミングでベトナムのVT1という放送局に、バルセロナとリバプールの面々が映し出された。画質はだいたい、YouTubeなどにアップロードされているようなものと同等かそれ以上。英語テロップ表示は何とか読めるし、悪くない画像だといえる。音質も良好(ただしベトナム語)。通信の具合も1試合の間に2度だけ少し乱れたが、概ね問題なく流れていた。

そういうわけで、1年ぶりのCL無料生ストリーミング観戦を十分に堪能できたのではあるが、試合結果のほうは、私にとっては最悪のもので朝から途方に暮れた次第である。