8.08.2009

群馬探訪その3

あくる日はすっかり晴れたので、まずは伊香保の山を登ることにした。旅館で朝風呂を浴び(これまた湯船を独占)、朝食に美味しい中華粥を頂き、値段を考えれば満点をつけられるこの洋風旅館を出発。ケーブルカーに乗ってあっという間に頂上に辿り着く。やや霧がかっているものの下界の温泉街を見渡すことが出来た。帰りは山道を徒歩で降り、森林浴の気分も味わうことが出来た。


(山頂からの眺め)


この後我々は、同じ群馬県でも少し離れたところにある富岡製糸場を目指すことにした。途中前橋付近で物産センターに立ち寄り、お土産を漁って昼食をとる。富岡に着いたのは14時ごろ、うだるように暑い。


(富岡製糸場)


明治以降の産業史上にたいへん重要な意味合いを持つこの工場跡は、私の予想を超える規模を誇っていた。1987年まで操業していたせいか、保存状態はかなり良好で、説明員のおじいさんが大変熱心に弁を振るってくれたことも相まって、当時の女工さんや役人、お雇いフランス人などの姿に思いを馳せることが出来た。ここは世界遺産登録を目指しているようで、我々が説明を聞いている間にも別のバスツアー団体がどどっと入ってきたりと、史跡としては中々の盛況振りを見せていて、また私の目には、盛況するだけの価値があるものだと思えた。

それにしても暑い。酷暑の最中の社会見学によってすっかりバテた我々は製糸場を出ると、レトロなムードの洒落た喫茶店を発見しそこへ逃げ込んだ。閑散とした店を仕切っていた若者は、少し話してみると最近まで東京の入谷に住み、浅草のイタリア料理店で働いていたということで、同じく最近まで入谷に居を構えていた我々はしばしの間、打ち解けて雑談を交わすことが出来た。

さて、そろそろ帰ろうかという際にその彼が「もし時間があれば、この辺りが昔の城下町の風情を漂わせているので、寄っていくといいですよ」と、地図上の何も特別な印がない地点を指差して言った。こんな場所に本当に城下町などあるのか?と少し疑問を抱きながら、時間に余裕のあった我々はとりあえず、車を彼の指差した、小幡という地へ向かわせた。

10分ほど走ると小幡と思われる地点に着いた。なるほど城の堀のような佇まいの小川に沿って、武家屋敷風の旧家が立ち並んでいる。少し奥へ行くと城跡や和風庭園が整備されていて、長閑な田舎の風景が広がるこの地がかつて本当に城下町であったことを物語っている。


(小幡の和風庭園)


後で調べてわかったことだが、かつて小幡藩という藩地が存在したこの地は、明治の廃藩置県によってわずかの間、小幡県と名を変え、群馬県に編入された。その後の町村制施行によって生まれた小幡村は小幡町と名を変え、現在では甘楽郡甘楽町小幡という位置づけになっている。昔、短い期間ながらも"県"を名乗っていた地名が、今では町村の名にも残されていないというわけである。

我々は夕暮れの中、この儚い歴史を持つ城下町を後にし、帰京した。充実した2日間であった。

8.06.2009

群馬探訪その2

事件の香りこそすれど何も起きなかった榛名湖を後にし、我々は夕刻、予約していた洋風旅館にチェック・インした。伊香保へ投宿するにあたり事前にあれこれ検索していたところ、フレンチのフルコース付き1泊2食で8800円という破格の内容に惹かれここに決定しながらも、余りに安いので何か致命的な欠陥があるのではないかと恐れていたが、概観は新しくコンパクトでシック。ロビーに入ると高級そうなバーカウンターなどが置かれ、オーナーが道楽者であろうことを匂わせた。

部屋に荷を置き、私は早速入湯する。風呂がまた新しく、檜の香りが漂い期待を裏切らないものであった。他に誰もいない浴場を満喫した私は部屋に戻り、レストランへ向かいディナーをいただく。想像していた以上の繊細かつ美味で、それでいて気取ってはいない皿の数々が我々を迎え撃ち、これまた大いに満喫する。ここまで良い条件が続くと心配性が顔を出し、何で安いのかという説明がつかず気味悪くもなってくるが、部屋が多少狭いというのと、伊香保の中心である階段坂からは歩いて10分程度かかるという立地条件に無理矢理安さの理由を見出し、納得する。

ゆったりとした夕食を終えると20時を過ぎていた。温泉地の夜は更けるのが早いが、雨も上がったことだしと、私はパートナーと階段坂の方へ散歩に出掛けた。平日ということもあって、人影はほとんどなく、店も多くは閉まっている。それでもライトアップされた夜の階段坂には風情があって、飽きることはない。元々私が何故伊香保に興味を抱いたかというと、成瀬の「浮雲」や小津の「秋日和」といった映画に出てくる、モノクロの階段坂に深い感銘を受けたからなのであるが、私の目前にある夜の階段坂は、勿論カラーではあるのだけど落ち着いたライティングによって夜の闇が逆に強調され、映画で見た印象に近い雰囲気だ。

(夜の階段坂)


人気のない階段を一番上まで登ると伊香保神社がある。辿り着くとその狭い境内ではいきなり100人ばかりの群集、それも地元の人たちがうろうろと、何かが始まるのを待つようにして時間を潰している。何事かと思い待つこと30分。提灯行列がはじまった。年に1度の地元のお祭りに我々は偶然、遭遇したのであった。観光客を拒絶するでもなく、それでいて宣伝するでもない。大きすぎず小さすぎもない規模の粛々とした提灯行列が、伊香保の階段を降り、小道を練り歩く。その様は美しかった。


(提灯行列)


提灯行列の一行を見届け宿に帰り、もう一風呂浴びたが、今度もまた風呂場を独占することができた。だが好事魔多し。私はここで、宿のマスターキーと車のキーを取り違えて持ってくるという人生初のへまをやらかした。部屋のある本館ではなく、離れに位置する風呂から戻る際、その事実に気付いた私は本館に入ることが出来ず、絶望的な気分でタバコをふかしていた。3本ほど吸った頃だろうか、離れの戸締りに現れた従業員の出入りに便乗して私は、何とかこの窮地を逃れることができた。

(まだ続きます)

8.03.2009

群馬探訪その1

もう一月も前のことになるが、パートナーと共に群馬へ小旅行に出た。梅雨空の下、レンタカーを借りて10時前に東京を出発する。

カーナビゲーションによると、高速道路を使えば目的の伊香保温泉周辺まで3時間もかからず着いてしまうことが判明する。それでは旅情もなかろうということで、ひたすら一般道を北上。それでも丁度お腹の空いた13時半頃、伊香保温泉近くの水沢地区へ到着。まずは"まいたけセンター"という場所を訪れた。

ここでは特産物の舞茸や、舞茸を使った様々な加工品が販売されている。キノコの香りが充満する中でぐるっと商品を見渡していたところ、パートナーが舞茸を買おうとして、販売員のおじさんから色々と説明を受けているのが目にはいったので私も近づいて説明を聞いた。新鮮な舞茸は水で洗ってはならず、そのままソテーなどをするがよろしいとの御託宣であった。確かに洗ってしまっては、独特の芳香や味が失われてしまうであろうと至極納得した。

そして、"日本3大うどん"と呼ばれる(そもそも日本以外にうどんの有名な産地はあるのか?)水沢うどんを食べに、うどん屋が集中している通りに出た。風評通り、森の中を貫いている道路の脇にうどん屋だけが並んでいるという、ちょっと不思議な光景だった。東京で例えれば深大寺周辺とやや似た風景だ。我々は連なるうどん屋の中から「水香苑」というお店を選択、天麩羅と饂飩を頂いた。瑞々しくてコシのある、おいしい饂飩であった。


(水沢観音)


その後付近にある水沢観音を訪問する。坂東三十三箇所の16番札所であるこの寺院は、霧がかった天候との相乗効果で幽玄なるムードを醸し出していた。ここに円空の彫った仏像があると聞き、本堂の中を覗くと割りと平凡な像が鎮座している。この方面に疎い私は「ふむ、円空でもこのような真っ当な像を作るものなのか」などと勝手に結論づけようとしたが、そんなはずがないとばかりにパートナーはぐいぐいと雨中を突き進み、近くにある新しい建物に仏像類がまとめて置かれているのを発見。期間限定のサービスで無料入場することができた我々は、円空のあの独特なる彫刻を眺めることが出来た。

さて、これでまだ15時過ぎである。そこで我々は榛名湖へ向かうことにした。伊香保温泉を通過し山道をくねくねと登る。この山道が車を走らせていて、何とも言えず楽しいのだ。後で気付いたのだが"イニシャルD"という有名な車マンガに登場する秋名という峠の地名はここから採ったものに違いないだろう。マンガに出てくるだけあって、走り屋ではない私でも少し興奮するようなルートである。やがて車は坂を登り切り、しばらくして榛名山と、山に見下ろされた榛名湖が姿を現した。そう大きくもないこの湖の周辺には欧風のプチホテルがぽつぽつと建っていて、アガサ・クリスティやコナン・ドイルの小説に出てきそうな、事件の香りがする風景である。


(榛名山と榛名湖)


平日で雨の中とはいえ、それにしても人のいる気配がまるでしない。我々は車をとあるホテルに止め、喫茶室で休憩することにした。静々と顔を出し、コーヒーを給仕してくれたホテルマンに軽い気持ちで景気の具合などを尋ねると、高速道路が休日千円になり、首都圏の住民は更に遠くへ足を運ぶようになったため客足が遠のいたと、何とも景気の悪い答えを聞いてしまい、静かな湖畔の喫茶室には気まずい空気が流れた。

いたたまれなくなった我々はそそくさと勘定を済まし、伊香保温泉へと戻りチェック・インすることにした。

(思ったより長くなりそうなのでこの話は何部かに分けます)

7.01.2009

映画「レスラー」と三沢光晴について

このブログで、映画についてしょぼい映画を引き合いに出して、いかにしょぼいかを書き連ねることもよくあるのだが、この前観た「レスラー」という映画は良かった。実に良かった。

ヴェネチアで金賞を獲得したこの作品の根底にはアンチ・ハリウッドの佇まいが一貫して流れてはいるものの、ストーリーは至ってシンプルであり、恋愛や家族愛、プライドと生活苦、健康と生き様といった対比の狭間で落ちぶれた中年男性が揺らぎ、決し、戦うという様子が変に奇をてらうことなく、また単純で浅い描写でもなく、ただ直球で描かれている。並みの直球ではない、剛速球である。

通常プロレス興行を観戦する場合、テレビ観戦にしてもライブ観戦にしても、ある程度現場から離れた地点からの視線で事象を捉えることになるのだが、この作品ではクローズアップした、いろんな意味で生々しいサイズの画を中心に戦いの場面を構成していて、それが、なぜ映画でプロレスを表現したのかというアイデンティティーの一角を成しているように思われるが、そもそもこの映画は内容の多くがリング外の出来事によって構成され、そこで織り成される人生の機微がまた何ともプロレスライクで、愛おしい。

リング外の出来事を追いかけるというのも通常、プロレスをたしなむ上では必要不可欠なことで、日本においては雑誌や東スポなどでファンはリングとリングの狭間を埋めていく。しかし、さすがにプロレスを専門に扱うメディアといえども、リング外の出来事をある程度(共犯者として)表現することはできても、レスラー達のプライバシーやリングを離れたところでの本音を表現することは出来ない。映画「レスラー」はフィクションなので、ミッキー・ロークが演じる元チャンプの、掛け値なしの人生をリングとリングの狭間に埋めている構成なので、物凄くリアルなプロレスなのである。

そこでふと、先日壮絶な死を遂げた三沢光晴のことを思い出す。彼は超一流で、リング上のパフォーマンスとマスコミを通じたリング外での(共犯関係における)表現だけで十分なものを魅せることができた。が、死後に出版された幾つかの専門誌による追悼号や普段プロレスを取り上げない一般紙(誌)のベタ記事などに掲載されている、知られざる様々なエピソード(とその行間)を読み解き、再度三沢のパフォーマンスを思い起こしてみると、彼が表現していた"十分なもの"を遥かに越えた世界が広がっていることに気が付く。三沢という人間をより知ろうとすることによって生まれた新たな三沢像が、彼の過去のパフォーマンスをより磨き上げるのだ。

今更ながら、プロレスとは空想力・想像力で味わうものだという基本的な事柄を思い出したわけである。現在プロレス人気に陰りの見える原因は、表現する側(レスラー、マスコミ)が分かりやすさを追求し、味わう側が空想・想像を放棄したという悪循環の中にあるのだろう。

6.04.2009

幻のホームラン

一ヶ月ほど前、私は2週間ほどバッティングセンターにハマっていた。家から歩いて15分ほどの場所にあるバッティングセンターまで夜な夜な歩いて(時には自転車で)通い、1セットやってアイスを食べて、タバコを1服してまた1セットやって、軽く汗をかいて帰る、というルーティンを繰り返した。

ピッチングマシーンにはバーチャル画面が付随していて、実在のプロ野球投手と対戦できる仕組みなのだが、私の相手は決まっていて、110-120キロの直球しか投げないSBHの和田。稀に、スライダーを投げてくる上級者向けの楽天マー君とも対決してみたが、変化球にはどうにもうまく対応できないので、結局和田の球を気持ちよく打ち返すルーティンへと戻ることになる。

ところで、私は野球の経験者ではないし、体も大きくない。今までの人生で何度か草野球の試合に出たことはあって、バッティングセンターでもおそらく100回以上はプレイしたことがあるのだけど、いずれにおいてもホームランを打った試しがない。一度は大きな、ホームランをかっ飛ばしてみたい。そんな誘惑に駆られて、バッティングセンターに通いだしてから間もなく私は、一発狙いのスイングを模索するようになった。

まず、硬球でも木製バットでもないバッティングセンターにおいて、プロのスイングを真似する必要はないと考えた私は、前後の体重移動を抑えて余り動かずに打つことを心がけた。これでミート力は大分向上し、かなりの確率で鋭い打球を打ち返すことができるようになった。そして、野球解説者がよく口にする「前に壁をつくる」という感覚を実践することにした。私は右打者だが、要は左肩を開かないように意識してスイングするということなのだと思う。これでバットの軌道が波打たなくなり、ゴロが減りライナーやフライが増えてきた。最後に、和田投手のちょうど真上あたりにあるホームランボードを狙うため、引っ張ってはいけないのでボールをなるべく最後まで見ることにして、スイングの初動を遅らせた。

こうやってホームランを打つための理屈を考え実践するというプロセスがまた楽しく、嬉々としてセンターに通いだしてから2週間ほど経った時、私は出会い頭に、念願の打球をホームランボードに叩き込んだ。「Yes !(心の声)」静かに興奮した私は、まだ3球目ぐらいだったそのプレイの残りを、今までに構築してきたホームランスイング理論などなかったかのような波打つ大振りで終わらせてしまい、いそいそと店員に「ホームランを打った」と告げに行き、賞品をもらい、ネームプレートを掲げてもらった。これで満足した私の足は、しばらく打席から遠のいた。

しかし逆説的な感想なのだが、改めてプロの選手たちは凄いのだなと思う。イチローよ、あんなに打席内で体重を移動させてどうしてミートできるのだ?小笠原に城島よ、何故内角高めに反応してホームランが打てるのか??

ともあれ、ホームランというマイブームは目的達成と共に過ぎ去り、1ヶ月ほど打席に足を向けなかった私は先日、久々にバッティングセンターへ行ってみた。そして理論どおりのスイングをした、つもりだったが打球はフライにならず、スイングもなんだか波打っている。もちろんホームランどころか、惜しい当たりもなし。一体あの2週間は何だったのだろうという徒労感だけが残った。

5.29.2009

トリプレッテ

FCバルセロナ、ご存知のようにチャンピオンズリーグにおいても頂点を極め、遂に3冠達成と相成りました。素晴らしすぎるゲーム・・私は未だ、夢の中にいます。

正直言って戦前、現時点で上回るのはマンチェスターUのほうだと思っていました。大方の予想もそうなっていたのではなかったかと思い出しますが、結果だけでなく内容においても相手を凌駕した決勝戦を終えて1つ得た感想(試論)は、"究極レベルにおいて複数の戦術を完璧に駆使するのは不可能"であるということです。

バルセロナは、愚直でした。ポゼッションを極める、その1点に賭けていた。ひるがえってマンチェスターUは、ベンチにワールドクラスのストライカーを2人置き、ルーニーにはサイドで守備をさせるという固いやり方でスタート。このやり方と、ストライカーを2枚並べる比較的攻撃的なやり方の使い分けによって去年のチャンピオンズを勝ち抜き、今年のプレミアリーグも制してきたマンチェスターUですが、どちらのやり方も、この究極の決勝で通用するレベルには、ほんの少しだけ足りなかったのではないでしょうか(相当なハイレベルには達しているのですが)。

そしてバルセロナのポゼッションフットボールは、変な言い方ですが、この究極の決勝で通用するレベル以上の域に突入した感があります。今までに誰も見たことがない、誰もやったことのないフットボール。勿論、少なくとも私がFCバルセロナに注目し始めたクライフのドリームチーム以降(ロブソンが指揮していた時と「ロナウドが戦術」だった時を除いて)、ポゼッションを志向し続けていたチームなのではありますが、今シーズンのバルサは、数年前にロナウジーニョとエトオあたりが最前線で行っていた、短い選手間距離におけるワンタッチでの連続パス交換を、中盤やディフェンスラインでも行うようになり、全体的に物凄く早いショートパスの交換が繰り広げられるようになった。これは実に革新的な変革でした。ハードワークをメリットとするマンチェスターUの選手たちは、ボールの動きの早さについていけず立ち尽くし、ハードワークは殺されました。例えばシウビーニョ。ブラジル人左サイドバックの彼は、決勝に相応しい緊張で強張った表情を終始崩さずに、常に縦へ突破する意識を捨てず、結果としてワンタッチで近くの味方にバックパスという行為を繰り返し続けた。クラブのユース出身でもなく、ドリブルが大好きなブラジル人が高いディフェンスラインでこのようなプレイを貫徹した。ここにバルサの革新性があらわれていると言えましょう。

新しいフットボール・スタイルを披露したバルサ。新しきものは得てして最終的に敗北するものなのですが、今回はやってくれました。決勝戦を観た我々はまさに、歴史的な瞬間を目の当たりにしたのだと思います。ただひとつだけ、このような奇跡を、贔屓のチームが成し遂げたという100年に1度あるかどうかという体験を、おそらく一生の中で二度と体験できないのであろうということが寂しくも、悲しいことです。

5.07.2009

CLクラシコCL・・・そしてコパデルレイ

日本では大型連休。その間、FCバルセロ~ナはチャンピオンズリーグ準決勝の合間にレアルマドリーとのクラシコを挟むという、大変厳しいスケジュールを消化したわけであるが、いやはや、素晴らしい成果を残してくれましたよ。

まずはチェルシーとのCL準決勝第1戦。10人で守りドログバ先生1人に攻撃を託した相手を"アンチフットボール"とは責めますまい。これもまたフットボール。実際に、強豪を相手に守りきるカタルシスというのは私、普段からフットサル大会に出場する度に目標とし、しばしば達成して得る感覚なので、理解できるところなのでございます。ホームで0-0という結果はこの時点では案外悪くないと思いました。アウェーゴールを奪われなかったことで、第2戦での1-1による勝ち上がりが可能となったからです。そういう意味では、ドログバのカウンターを1人で防いだバルデスのセービングは実に大きかった。

そしてエル・クラシコ。ベルナベウで2-6という結末は既に「今後30年語り継がれる」などという評判を呼び、リーガ優勝を決定づけるものとなりました。今更内容については何も申しますまい。このレジェンド・ゲームを現地で観戦したかったという悔しさこそあれ、私は完全に試合の内容・結果と、付随するリーガ優勝ほぼ確定という事実に満ち足りて、「チャンピオンズなんてどうでもいいや」という気分になってしまったわけです。

元々今シーズン開幕前、悲観派クレの私はペップ新監督の経験不足を心配し、「リーガは2位以上、CLはベスト8以上、国王杯だけはそろそろ優勝しておきたいなあ」などという希望を掲げておりましたが、今目前にあるのは3冠全てを現実的に狙えるという状況。悲観派としては「そんなにウマくいきっこない」というムードに支配される中、CLの準決勝第2戦が行われました。この試合、実はまだ観ていないのですが、なんとロスタイムの同点弾による1-1での勝ち上がり!伝説のクラシコによる記憶を早くも塗り替えるような、劇的な結末であった模様でございます。

ここまで良い結果が続くと、3冠もいける!と思いたくなるものですが、それでも私は、残念ながら決勝でマンチャスターUに負けてしまうのだろう、と腹を括っております。今まで散々、期待を裏切られた歴史が私をここまで悲観させるのかもしれませんが、私の心は今、既に獲得同然のリーガタイトルでもCLのビッグイヤーでもなく、国王杯でアスレティック・ビルバオを打ち負かしていただきたいという方向に向いているわけなのであります。

5.03.2009

自転車日本一周? -3、小田原から沼津-

前のトピックで少し触れたが、年末に新車を購入していた。ブロンプトン(BROMPTON)という英国の折り畳み自転車なのだが、これが実に良い。折り畳み自転車というのはバランスよく作るのが難しそうなものであるが、ブロンプトンについて言えば職人が各部をきちっと作っているのでほとんど破綻がない。折り畳み方や畳んだ後の姿もチャーミングで、購入してからこれまでの数ヶ月間で、折り畳んでいる間に何度も見知らぬ人から声をかけられた程である。

そんな我が愛しの新車と遠出をしたくなり、ゴールデンウィーク中に自転車日本一周?事業を再開することにした。最初は伊豆半島を巡ろうかと思ったが、どうやら伊豆の道は急坂だらけで走りにくそうだ(しかも2日はかかりそう)・・従って伊豆半島は諦め、前回熱海へ行く際に立ち寄った小田原から箱根越えを目指すことにした。これなら1日で終わるだろう。

例によって朝からダラダラと時間を使ったため出発は遅く、折り畳んだ自転車を担いで小田原駅に降り立ったのは午後1時過ぎ。美しい小田原の町並みを過ぎると、緩やかな傾斜がはじまり、これが箱根湯本まで続く。


(箱根湯本付近)

箱根湯本の町並みは連休中ということもあって混雑していた。人と車の隙間を縫って自転車を進ませ、商店街を抜けると歩行者はいなくなり、急斜面と曲がりくねった道が5キロほど続く。ここが前半の難所だろう。汗を滝のように流しつつ自転車を押して1時間近く歩くと、大平台に宮ノ下、小涌谷という拓けた集落が現れてホッとする。宮ノ下で300円の共同浴場を発見した私は、時間を気にしつつも湯の誘惑には勝てず、軽く入浴することにした。

湯を存分に体に浴びせ汗を流し取り、風呂桶に浸かると早速、隣のおじさんが声を掛けてきた。
「自転車でどこから来たの?」
どうも、駐輪するところを見られていたようである。返事をすると、その人はかなり近所に住んでいることが判明した。逆に「よくこちらには来られるんですか?」なんて質問をすると「うん、週2回は来てるよ」という返事が・・優雅なもんだ。


(宮ノ下にある共同浴場)

しかし、この時点で15時を過ぎ、その日のうちに山を越え静岡県に入らなければいけない私は長湯も出来ず、おじさんとの会話もそこそこに再び出発した。腹も空き、昼食処も決めないといけないのだが、ここはちょっと高そうだとか蕎麦はあまり食べる気がしないだとか店の値踏みをしているうちに、小涌谷を過ぎると店が全くない山道になってしまった。後半の難所だろうか。私は少し焦りつつも、黙々と自転車を押し続けた。日は徐々に暮れゆき、16時半近くになった頃、山小屋風の食事処が急に姿を見せた。是非もなく入店する私。「たきのや」というこの店は定食のみならず、ちょっと凝った料理もレパートリーに入れつつも値段は観光地にしては安い定食屋並みのレベルを保ち、雰囲気もこだわっているという感じはしないが味があるという、押し付けがましさのない感じの良い店であった。ゴマラーメンと豚丼が旨かった。


(たきのやさん)

さて、遅い昼食を終え再び山越えに挑むと、私と同じように自転車を押して歩く人を100mおきぐらいの間隔で見かけた。ここまでの道中にも何人か見かけ、追い越したり追い越されたり、挨拶したりしていたのだが、"たきのや"から頂上までの区間には固まって何台もの自転車と人が最後の難所に挑んでいた。皆一様に疲労し切っている中、休憩したばかりで体力が回復した私は一人、また一人と追い抜いていく。高校生風の若者もいれば、初老のおじさんもいた。ジャック・バウアー似の白人もいた。このジャック・バウアー氏は風貌や高級そうな自転車のわりには、てんで大したことがなくて、比較的平らなところでもずっと自転車に乗ることなく押し続けていた。完全に力を使い果たしていたのだろう。

17時を大きく過ぎ、ようやく国道1号線の最高地点を越える。ここから数分の間ずっと下り坂で天国にいるかのような気分を味わうと、その先には夕焼けを反射する芦ノ湖が悠然と佇んでいた。美しい。ここまで来ると、もうゴールしたような感覚に襲われ、湖畔でしばしの間、足を伸ばして呆然と日没まで大自然を眺めていた。いよいよ日が沈み、間もなく残照もなくなって暗くなるというところで私は重くなった腰を上げ、自転車を再出発させると、のろのろと自転車を走らせるジャック・バウアー氏が私の休憩地点に到着し、これから休憩するという構えを見せていた。どれだけ遅いんだこの人は・・


(国道1号線最高地点)

後は静岡側へ下っていくだけである。芦ノ湖からは10分ほど登り、後は飽きるぐらいに延々と下り坂が続いている。私の愛車は下りの間、上りで抜いていった人たちに次々と抜かれていった(ジャック氏は見かけなかったが)。これはタイヤの口径が小さいために仕方がない。それでも時速40km近くのスピードで山を下っていくとすぐに静岡県に入り、三島市、そして沼津市へあっという間に到着した。ここで今回のチャレンジは終了。沼津駅前の寿司屋で、達成感と新鮮なネタの寿司を肴にうまいビールを頂き、帰宅した。

深夜、良い機嫌で帰宅した私を待ち受けていたのは、忌野清志郎の訃報であった。一度見たそのステージも忘れられないものだが、同時に以前、友人がカラオケで「僕の好きな先生」をがなりたてたその強烈な歌声を思い出し、先ほどからそっちの方が頭の中を渦巻いて今、大変困っている。

4.23.2009

各種崩壊

某日深夜、実家で寝ていた私は「ドカーン!」という轟音と共に目を覚ました。なぜか体が傾いている。左上のベッドの足が、ベッドマットを乗せている台と離れ、台ごと斜めにずり落ちてしまっていた。

眠気と、ベッドが壊れたという事実に不機嫌な私は、色々と修理を試みたが、台と足を接続するボルト自体が折れてしまっているので直すことができない、という実態を認めるまでに30分もかかってしまった。諦めた私は仕方なくベッドマットを、崩壊したベッドの枠組みの横に敷き寝ることにした。この状態は今でも続いている。

しかし、安物とはいえベッドなんて壊れるものなのかね?壊れると言えば私の携帯電話もおかしなことになっていて、先日フットサルの後、友人と談笑していたらその友人が笑いながら「おい、意味もなく電話すんなよ」と言ってくるから驚いて彼の電話機を見ると、確かに私からの電話がかかっていて鳴っている。私の電話機はカバンの中に入れっぱなしにしていたというのに・・恐ろしい話だ。

その他にも、十分に充電された状態でも簡単なメールを1発送信しただけで、送信直後に力尽きたように電源が切れたり、ある日今までに受信したメールが全て未開封になっていたりと私を困らせるのだが、何故か買い換えることもなく今でも不安定なまま使い続けている。

まあ、ベッドにしろ携帯にしろ壊れたまま使い続けているのだから、それほど困っているわけではないのかもしれないが、もう1つ、これまた半端に壊れたまま使い続けているものがある。それは、散々買うだの買わないだの言っておいてようやく昨年末に購入した、新しい折り畳み自転車のハブダイナモである。どうにも購入した時からランプのつきが悪い。調子よく点灯する時もあれば、全く点かない時もあり、頼りなく点くという場合もある。これじゃいかんと思って一度、買った店で点検してもらったところ応急処置をしてもらい、全く点かないということはなくなったのだが、相変わらず頼りなくしか点かないということがよくある。これは点検時にお店の人も予期していて「これでだめならダイナモの交換ですね」と言われていたのだが、良いと言われているドイツ製のなんとかというダイナモの値は3万強・・困った値段なので、これも交換せずに放置している。

とまあ、色々なものが身の回りで中途半端に崩壊したまま放置されているわけだが、本当に崩壊しているのは、万年床と化したベッドマットを「こりゃ楽だ」と称し、全て未開封になったメールを1つ1つ読み返して友人から過去に届いた馬鹿な文章にほくそ笑み、不安定な自転車のランプにまでどこか風流を感じてしまう、私の精神そのものだったりするのかもしれない。

3.19.2009

WBCあれこれ

ここのところ非日常的な生活がすっかり日常化してしまっている為、当欄に何を書けばよいのかわからなくなっている始末であるが、世間ではWBCという野球のイベントが非日常的に盛り上がっているようだ。視聴率の数字などを見ると、かなり凄いことになっていて、サッカーのW杯並みになっている(少なくとも予選の視聴率は、WBC予選がW杯のそれを凌駕した)。

サッカー愛好家にして野球も嫌いではない私は、今ひとつこの盛り上がりに乗れないとはいえ、それなりに日本をはじめとする各国の野球内容や結果を気にはしている。が、むしろこのWBCブームという社会現象そのものにより興味を持つ。なぜにここまでフィーバーしているのか、と。

サッカーW杯と比較すると、相違が浮き彫りになるだろう。まず出場各国の中でも盛り上がり方に大きな違いがあるようだ。W杯の場合、およそ出場する国の大多数において関心対象になるのに対し、WBCが国民的な関心対象になっているのはおそらく日本・韓国・キューバ(プエルトリコ・ドミニカあたりもそうかもしれないが、ちょっとわからない)あたりだけで、過半数の出場国ではさほど興味を惹いていないと思われる。もっとも、長い歴史を誇るW杯に対し、まだ2回目のWBCが拮抗できるはずもないが、"盛り上がっている"側に日本が位置することをまずは留保しておこう。

また、野球人気が復活したのか、野球がサッカーよりやっぱり人気があるのか?という点であるが、私はそんなことはないと考えている。野球もサッカーも共に人気が落ちたというのが正解に近いのではないだろうか。近年ではプロ野球・Jリーグ共に観客動員こそ健闘しているもののTVの視聴率は惨憺たるもので、コアなファン層は堅持しているがライトなファン層がよりライトになった。でも完全に興味を失ったわけでもないので、数年に一度、不意に盛り上がりを見せるW杯やWBCなどのお祭りには参加しよう、といったところなのだろう。少し話を逸らすと、中学高校におけるスポーツ系部活動に関わる生徒の割合というのがめっきりと落ちてしまっているらしく、野球やサッカーも例外ではないそうだ。そういったことからも、野球の人気が復活したわけではなく、サッカーより上だとも言えないと思われる。

あと、WBCに関心を持つ日本人がWBC自体に関心を持っているのか?という疑問もある。サッカーW杯の場合、日本絡みの試合以外、例えばブラジル対イタリアなんていう決勝戦が実現したとして、それをTV観戦する人は結構いるのだが、今回WBCの決勝が仮に韓国対USAだったら、誰かその試合を見ますか(と言いつつ、ジーターのファンである私は見るかもしれないが)?そう考えると、このWBCフィーバーはW杯というより、オリンピックに類似するフィーバーなのだろうという気がしてくる。お祭り自体の魅力というよりも、日本代表というブランドの魅力なのである。

ただ、オリンピックと違いWBCに参加している選手たちは、普段からその名を見聞きし、プレイの一端を眺めている人々なので、普段からお祭りにかけての応援の継続性がある。おおよそのオリンピック選手はそれ(日常からの継続した応援)を受けることができず、W杯の日本代表はそれを受けることが出来る。そこも考慮すると、WBCの立ち位置はW杯と五輪の中間ということになるだろうか。

以上のようなとりとめのない妄想的考察を踏まえて、最初に留保した「なぜ日本は、WBCで盛り上がっている数少ない国のひとつなのか?」というところを考えると、これはやはり日韓戦が何度も味わえるというカタルシス以外の何者でもないのではないかというところに落ち着くのである。韓国という良きライバルとの決戦は、お互いがヒートアップするので何とも言えない独特の雰囲気を醸し出す。サッカーのW杯予選にも、この対決が組まれていたらもっと盛り上がりをみせていたであろう。ちなみにもうひとつの盛り上がっているらしい国・キューバにとってのライバルはUSAなのだろうが、いかんせんこちらは切ない片思いの感がある・・可哀想なキューバ。

2.19.2009

一戦必勝

1月末、私は久々に川崎競馬場へと足を運んだ。当地における年に一度の大イベント・川崎記念を見に行く為である。川崎記念の発走時刻は16時ごろであったが私は何とか15時半に現地へ到着し、珍しくも人混みに埋められたパドックにて出走馬たちを急ぎ眺め、ドタバタと馬券を購入し、やっとレースの5分前にゴール板近くの立ち位置を確保し落ち着くことができた(と言っても5分前というのはギミックで、往々にして地方競馬場では"馬券販売締め切り1分前"などというアナウンスから3分ぐらいは締め切らない、という現象が起こる)。

ホッと一息ついていると、すぐ近くにいる老夫婦の会話が耳に入ってきた。しばらくはフリオーソという馬の主戦騎手が戸崎騎手に代わってから、どうもこの馬(の馬券)を買う気がしないという話を奥さんが続け、旦那がそれを聞くという感じであったが、やがて大本命のカネヒキリについての話がはじまった。この馬はかつてダート競走の世界で頂点を極めたもののドバイの国際レースに挑戦し敗れ、その後2年半にも渡り再起不能と思われた怪我の為に休養、奇跡的に復帰した2戦目から大レースを連勝中という、実にドラマチックな経歴を持ちながら、やはり芝ではなくダートの馬だからかイマイチ地味目な存在なのである。

「しかしこの馬、この後どのレースに出るんだろうね?」
「え、フェブラリーSでしょ?」
「フェブラリー出るかなあ」
「出るよ、その後またドバイでしょ」
「そっちに行くかなあ?」

夫婦はこのように、目前のレースではなくカネヒキリの今後について会話を交わしていた。奥さんは今後、中央競馬の大レースであるフェブラリーSを経てドバイに再挑戦という、光の当たる表街道を行くと信じて疑わないのに対し、旦那のほうは一度大怪我を負ったカネヒキリを気遣ってか、この川崎記念のような、大レースと言っても裏街道に位置するレースを選んでいって欲しいと考えているようだった。私はその会話を興味深く聞いていたが、奥さんが続けてこんなことを言った。

「でもさ、どのレースに出るとしても、この馬の足はもうガラスだから、一戦必勝だよ」

この言葉は不意に私の心を動かした。そう、おそらくこの馬はどの馬にも増して、いつ再びパンクするかもわからないというところで調教をこなし、レースに出走しているはずだ。目前のレースを完走し、良い結果を出すことが全てで、数レース先までのローテーションなんてことは考えられないのだろう(勿論、馬がそんなことを考えるはずもないが、擬人化して共感するという作業は競馬の一つの醍醐味なのです)。私は急にそんなカネヒキリを愛おしく思い、手元にある馬券にこの馬が絡んでいない事を後悔し出したがもう遅い。その時既に、"馬券締め切り1分前"コールから2分は経過し、いくらなんでもいい加減締め切り時刻になることは明白だったのだ。

レースは、珍しく逃げたフリオーソを、カネヒキリが慌てず最後の直線できっちり捉え勝利。完勝ではあったが余裕を持ってというほどのものではなく、ここ数戦、同じレースを走り続けたフリオーソとの着差が徐々に縮まっているのも気になるところだが、しかしそれでも結果を残すところに、楽勝を続けていた往年のカネヒキリとはまた違った復帰後の凄みを感じさせるという、味のあるレースだったように思う。

そのカネヒキリが22日、フェブラリーSに出走する。復帰後全力で走り続けるこの馬のガス欠やパンクを心配しつつも、一戦必勝の走りを応援せずにはいられないだろう。

12.18.2008

最終回

今クール、私にしては珍しいことに、毎週TVドラマを見ていた。「風のガーデン」というドラマである。倉本聰脚本、中井貴一主演のこの作品を初回の時点で見る気にさせたのは、やはり緒形拳の遺作となったからだ。

「北の国から」で有名な倉本氏の脚本は、今作も相変わらずのモノローグを中心に構成された家族愛を謳う内容であり、正直言って私の好みではない。脚本家としては同世代でよく比較されるであろう山田太一氏の、いつまでも現代社会の変わりゆく様相をウォッチし、風刺していく姿勢のほうがしっくりといくのであるが、それでもこの「風のガーデン」においては、モノローグはある程度物語の中心ではなく周辺に配置されたことによって抑制されたイメージを受けた。何より俳優陣の演技が圧倒的であった。中心人物たちだけではなく、脇役のガッツ石松氏なんかにも「上手いなあ」と感心させられたし、何人かの新人俳優には、その力量を伸ばすために存在するかのような、大変に長いセリフや長回しのワンカットなどが用意されていて、そういう配慮にも好感が持てた。そして、富良野の自然や花景色も実に美しかった。この辺はもう、地元である倉本氏の独壇場なのだろう。

そういうわけで、久々にTVドラマというものを堪能させてもらった2ヶ月強だったわけなのだが、見終えた今思うのは、フィクションをフィクションとして堪能しただけではなく、別の要素を同時に見続けていたのだなあという感想である。その別の要素とは、初回のオンエアを待つことなくガンによって亡くなった緒形氏が、その最新にして最後の姿を披露する場であったということだ。もちろん緒形氏と面識のない私は、亡くなる前にだって彼のことをTVでしか見たことがないし、報道によって亡くなったことを知った後すぐにこのドラマがはじまり、毎週演じているのを眺めているのは不思議な感覚で、故人だということをほとんど忘れていた。そして奇遇にもこのドラマは、ガンに侵された中井貴一(が演じる主役)が亡くなるまでを描いたものであり、中井氏が病に苦しむ演技や(役作りとして)痩せていく姿を通じて、本当にガンを患っている(がドラマの中では健康な)緒形氏の身を案じてしまうという、奇妙な相乗効果が生じていたのである。

そしてつい先ほど最終回が終わり、本当は10月に亡くなっている緒形氏が、ああ本当に亡くなったんだなあ・・という感慨にようやくふけることになった。合掌。

11.28.2008

三崎のマグロ

先日、介護に追われるパートナーにつかの間の休日が訪れたので、連れ立って三浦半島へ小旅行に出掛けた。かの半島は神奈川生まれの神奈川育ちである私にとっては愛すべき土地であり、大概の見所へは足を運んでいると思うのだが、今回は私も初めて訪れる、なにかと評判の高い横須賀美術館をまずは目的地と設定。澄んだ秋空の下、車を走らせた。

横須賀の市街地を抜け、観音崎の海沿いを行くと、コンパクトな現代建築が姿を現す。大変恵まれた立地条件であると言えよう。既に14時近くだということもあって、空腹感を覚えた我々は入館する前に付随するイタリアンレストランへと向かった。混んではいたが、10分程度の待ち時間で席を確保することが出来た。東京にある有名店が経営しているらしいこのレストラン。当然、期待は膨らむのだが、出てきたものはやや残念なものであった。まず"地魚"と銘打ったメインディッシュが鮭っていうのは、仮に地元の市場で仕入れたのだとしても期待外れというものだ。サラダも、味付けは悪くないのだがやや素材の新鮮味に欠けるものだった。ここで私は小旅行の出鼻を少しくじかれたような気になったが、かと言って酷い料理というわけでもなかったので「まあ、こんなもんだよね」なんていう高飛車な感想を抱きながら店を出て、美術館へ入る。


(横須賀美術館外観)

ここでは常設展示の他に、「日本彫刻の近代」という企画展が開かれていた。仏像や人形といった立体造形物の時代から、明治期に西洋から塑造技法と美術思想が輸入され、伝統的なものと交じり合って独特の歴史を重ねていったという流れが、オーソドックスに示され、私のような素人には非常に判り易く楽しむことができた。時代によって人物像の鼻が高くなったり、低くなったりする過程が面白い。おそらくこれは、西洋の直接的な影響を受けた後に、そこを離れ日本独自の、あるいは作家個々の表現によるものを目指したという過程を示しているのだと類推するが、作家主義というもの自体がやはり西洋からの影響なのではないかとも思う。明治から昭和中期に至る日本彫刻の近代という流れは、作家たちの大いなる苦悩の下で育まれたグローバルスタンダードへの到達の道筋であり、また同時にローカルな伝統工芸への美術的な解釈を含む再評価の途上であったのだろう。

とまあ、企画展の観覧にはすっかり満足した私であるが、巷では高い評価を得ている美術館建築自体には少し不満を覚えた。外見等のデザインはさておき、私が美術館に求める"回廊性"とも言うべきものが希薄なのだ。企画展を見て、常設展を見て、屋上に登り景色を見て・・などとする過程において、同じ地点を何度も通過するという構成にはいただけないものがあると感じてしまう。これは企画展中心の箱モノを意図してフレキシビリティーを優先した結果なのかもしれず、ある意味現代的な結末なのかもしれないが、何にせよ私の趣味とは残念ながらマッチせず、同行のパートナーも同じような意見であったため、揃って満足するに至らなかった。


(横須賀美術館内部、ここを幾度となく通る)

このまま小旅行を終えては詰まらないだろうと思いつつ再び車のハンドルを握ると、パートナーが「三崎でマグロを食べたい」と言い出した。遅い昼食からまだそれほど時間も経過していず少し戸惑ったが、何と言ってもあそこのマグロは美味いので反対することもないだろうと、私はハンドルを右に切り、浦賀、三浦海岸を経て三崎へと向かった。秋空は暮れるのが早く、もう暗くなっている。途中ほぼ太陽が沈み、乏しい光の中で通過した、一面に広がる三浦大根畑の美しさがやけに印象に残った。

渋滞などもあって、三崎に着いたのは夜の7時前だ。我々はいそいそと市場へ赴き、閉店時間直前の魚屋でお土産を物色し、大きくて安いアジの開きを買い込んだ。あまり滞在せぬうちに市場の店は全て閉まってしまい、いよいよ外に出て、マグロを味わう店を選ぶ時が来た。辺りにはマグロを食わせる店が10件以上ずらっと構えている。ここで店を間違えたら、1日が台無しである。

私は嗅覚を働かせ、裏路地に佇む一軒の老舗を選んだ。「たちばな本館」というこの店は、あまりやる気のない接客でカウンターには客がおらず、やや不安を覚えたものの、導かれた奥座敷のふすまを開けると大部屋にほぼ満員の盛況振りであった。座った机の斜向かいの客席には、巨大なマグロのカマが焼かれてドカンと置かれている。私も同じものを猛烈に食べたくなったが、要予約の上に高価で、しかも5~6人前の量と聞いて断念。赤身と中トロの乗った丼を注文した。これが実に美味かった。私が今までに食べたマグロの刺身で1番美味かったかもしれない。これより上等なものを欲せば、本当に高級な寿司屋か料亭に行って大枚をはたかないと得られないだろう。が、ここなら3000円もかからない。パートナーが注文した定食に乗っかっていたマグロの唐揚げや煮物も大変良かった。メニューにはマグロのハンバーグやステーキなど、気になるものが幾つもあり、絶対にまた来たいと思わせる店であった。

かようにして1日は、建築や彫刻や風景を忘却の彼方へと追いやり、マグロの味に染められたのだ。

11.20.2008

自転車日本一周? -2、東京から袖ヶ浦-

ALPSLABというサイトのrouteというサービスがなかなか面白い。地図上で基点と終点までのルートをクリックしたりドラッグしたりして決めると、基点から終点までの動きが動画になって表示され、また距離や標高もわかるというようなサービスなのだが、1つ重大な欠陥がある。とにかく重いのだ。深夜にならないと内容を更新したり、閲覧することができない。モノが面白いだけに何とかならないのかねえ?

とはいえ、私もこのサービスを用いて自転車旅の記録を残すことにしました。気が向いた方は見てやってください(ただし深夜に)。

ALPSLAB routeで表示する今回のルートはこちら↓

東京-袖ヶ浦


ところで、東京から熱海へ自転車で走り「何年かかけて日本一周でもしてみようかしらん」などと想起した後、鉄は熱い内に打てとばかりに次の旅を企んでいたものの、予定がたたぬうちにとりあえず11月3日、日帰りで千葉方面へ行けるところまで行くことにした。例によって発走は遅れに遅れ、午後1時半にようやく出発。いきなりカメラを忘れたことに気付くが、戻るのも面倒なのでそのまま環状7号線を進む。

北区・足立区・葛飾区と、ほとんど土地勘のない地区を行くが、そこには東京のある典型とも言うような町並みが続いていた。色の少ない、四角い建物が林立し、緑に乏しい景色の中をぐいぐいと走る。時折現れる隅田川や荒川、中川などの水辺を行き、橋を超える時だけは心が安らぐものである。やがて千葉県に入り、国道14号線を市川や船橋と所を変えて走るが、大して景色が変わることなく、私は淡々と前へ進んだ。

景色が急変したのは千葉港の辺りからだ。11月の短い日は暮れ、右を見ればコンビナート、左を見れば公園か林というロケーションが続く。街灯は極端に少なく非常に暗いので、安物のライトしか持ち合わせない私はほとんど足元が見えない中を慎重に進むしかなかった。体力も既にかなり消耗していたが、それよりも暗さが精神力を侵食しているのが堪える。6時過ぎだったか、左に曲がると姉ヶ崎という標識が見えたので、私は迷わず姉ヶ崎駅へと向かった。もう限界である。

駅近くで光と空腹の解消を求めて、ケンタッキーチキンへと滑り込むと、生き返る思いがした(多少大げさだが)。チキンをほおばり、ここまでの道程を地図片手にぼんやりと追っているうちに、もう10kmぐらい走ってみようかという気になった。すっかりと日は暮れているものの、まだ7時にもなっていないのである。私は腰を上げ、再び自転車にまたがり、線路沿いの田舎道を2駅分進んで7時半に袖ヶ浦駅に到着した。

しかしホッとしたのもつかの間、時刻表を見ると、次の快速電車まで14分しかない・・私はダメもとで自転車の解体に全力を注いだ。前輪を外し、サドルを抜いたりして無理やり袋に詰め込むとそれを抱えてホームへダッシュ。息を切らせながら時計を見ると、なんと今まで30分近くかけていた輪行作業を9分で終えていた。達成感と共に缶コーヒーを味わっていると「まもなく電車が参る」というアナウンスが聞こえた。しかしそこで私は、ホッとしたのもつかの間という状況をまた体験する。

自転車の解体や組み立てに用いるペンチを、駅前の解体した場所に忘れてきたことに気付いたのだ。私はかなり情けない思いを抱きながら再びダッシュ。階段を上り降り、改札をくぐって置き去りにされていたペンチを握ってまた階段を上り降りると、電車は到着していた。重い輪行袋を持ち上げてなんとか電車へ乗り込むと、他に誰も乗っていない客車の中で私はへたり込んだ。いやはや、自転車を漕いだ事よりも最後のドタバタ劇が印象に残る旅であった。


そして次週、友人たちから「サイクルモードという自転車の展示会を見に行かないか?」という誘いがあった。重い自転車を持ち歩いたり、解体や組み立てを行う輪行という所業をなんとか楽にできないものかと、前週の体験によって考え始めていた私は、その誘いに乗っかって幕張メッセまで足を運ぶことにした。

事前知識なしで訪れたこのイベントは、想像を大きく超えたスケールで催されていた。メッセの巨大な空間に何百という自転車関連業者が所狭しとブースを並べ、会場の脇には試走コースが数箇所設置されていた。数多くの来客は、昨今の自転車ブームを物語っていた。驚いたことに、ちょっと名の知れたメーカーのブースで試走を申し込むと、数時間待ちだったり終了していたりするのだ。入場料を払って自転車売り場に来てるのに、試乗もできないってどういうこと?と憤慨を覚え、スタイリッシュに過ぎてスノッブな感のある自転車ブームというやつに唾を吐きたくなる気分ではあったが、私はその唾をぐっと飲み込み、会場を黙々と歩いていると、大手折り畳み自転車メーカーのブースを発見した。

(サイクルモードの光景)

折り畳みか・・輪行は楽そうだが、走行性能はどうかなと、試走を待つ行列の最後尾に並ぶ。10分後にそのメーカーで最軽量の自転車が私に回ってきた。約8kg、実に軽い。コースで走ってみると、スピードも随分と出る。立ち漕ぎなど負荷をかける動きをした場合の安定性に不安は残るものの、ほぼ申し分ない性能だ。こいつはいいなあと思い、ブースへ戻って値段を見てまた驚いた。20万弱、今乗ってるやつの約9倍!

いくらなんでも、高いよね?でもいいなあ、高級折り畳み自転車。こうして私の新車購入計画は、再び迷走期へと突入したのであった。

11.13.2008

快挙?達成

藪から棒で恐縮ですが、ポイントサイトといわれる存在をご存知ですか?

有名なところでは"nットマイル"や"Gポ○ント"とかいったものが挙げられますが、要するにそれらの会員になって、買い物をしたり無料のゲームをやったりアンケートに答えたりバナー広告をクリックしたりするとポイントが貯まって、それを航空会社のマイレージや現金などに交換できる、というサービスを運営しているサイトのことです。私は1年近く前に、たまたま中途半端に貯まっていたANAのマイレージをもう少し集めて有効活用できないかと思い、気軽に始めたところハマってしまい、今ではいくつものサイトに登録し、こつこつ貯めたポイントだけで、それこそANAで1往復どこへでも行けるぐらいのマイレージを得てしまいました。

なんて書くとポイントサイト礼賛のように思われそうですが、実はここまでに結構手間隙がかかっています。元手がかかっていないとは言え、時給に換算したらスズメの涙のようなもので、稼ぎたいのであればその間にバイトでもやった方が得策でしょう。なので、ポイントが貯まっていくこと自体に喜びを感じたりする人や、拘束されている中でインターネットは自由に使えるという時間を生活の中に持つ人にはお勧めできるかもしれませんが、それ以外の人には特にお勧め致しません。そんなヒマがあったら、読書をしたり花鳥風月を愛でたりしていたほうが、よっぽど有意義だというものでしょう(自戒を込めて)。

ところで、私が登録しているポイントサイトの一つに"予想.nット"(ちなみにサイト名は全て仮名)というものがあって、これはバナークリックやらなんやらで貯めたポイントを、サイト側がオッズを付けて出題してくる様々な問題に賭けて、当たれば更にポイントが増えていくという仕掛けが特徴のサイトです。例えばオリンピック時には「柔道のヤワラちゃんが獲得するメダルの色は何色?」なんていう4択問題が出題されたりするわけです。スポーツに限らずあらゆる物事が出題対象となっていて、イギリスのブックメーカーで遊んでいるような気分になれます。

そして、このサイトでは時折、スポーツなどのビッグイベント前になると「予想チャンプ決定戦」と称して、そのイベントに関する問題の正答率や獲得ポイントで参加者に順位をつけ、優秀な成績の者には別途商品を出すという催しが開かれます。この秋には「プロ野球・プレーオフ&日本シリーズ予想チャンプ決定戦」が開催され、7000人を超えるユーザーがエントリーしていました。私も参加し、特にデータを調べたりすることもなく、かなり適当に各試合の勝敗などを"予想"というよりは適当に"予言"していきました。

するとこの予言が当たる当たる・・プレーオフの半ば頃に発表された最初の中間発表で、私は2位という好順位につけていたのです。たとえ何事においても、7千何百人中の2位というのは気分の良いもの。これで毎日、野球の結果が気になり始めた私は、実際の試合はTVで見れずとも、スポーツニュースなどで結果は欠かさずチェックするようになりました。その後の中間発表では9位に落ちたものの、日本シリーズの5戦目を終えたところで発表された最後の中間発表では4位でした。10位以内で賞品が獲得できるものの、3位以内になると賞品のグレードが少し上がります。私は3位以内を目指して最後の2戦を埼玉西武ライオンズの勝利に賭けました。そして見事予言的中。上位3人も当てていたら順位は変わりませんが、これでどうなったか。

と気を揉んでいたら、なんと最終順位はトップ!繰り返しますが、たとえ何事においても7千何百人中の1位というのは、ちょっと気分の良いものですね。この実績を引っさげて、野球評論家に転職しようと思います(嘘)。

秋のちょっといい話でした。

10.07.2008

自転車日本一周? -1、東京から熱海-

去年の今頃だったと思うが、私は東京から実家のある藤沢までボロ自転車を漕いで帰った。その前には新潟県の十日町まで行ったこともあり、その後も銚子へと向かったことがある。こうやって書くと実にたくましく、遠距離を乗り回している自転車野郎のような印象を与えてしまいそうだが、実のところそれ以外には遠距離自転車旅をしたことがないし、メンテナンス等の知識もほとんどない。

そんな私だが、普段からたしなんでいるフットサルやサッカーの場において、最近めっきりと運動量が落ちているのをぼんやりと自覚していた。元々大したテクニックなどを持たない私だが、多少は優れていると思っていた体力に陰りを見せたとあってはプレイヤーとして致命傷である。これはいかんな・・と思っていた矢先に、フットサルのない週末が訪れたので、私はふと思い立って、トレーニングがてらに1年ぶりで実家へと自転車を走らせることにした。2008年10月4日、夕方4時過ぎに板橋の家を出発。

まずは山手通りを渋谷付近まで南下。この通りは相変わらず工事と区画整理を続けているが、おかげで元車道だったような区画が、暫定的に歩道化していて走りやすい。ロードレーサーでもクロスバイクでもない、なんちゃってモトクロス・タイプの我が愛車は、ママチャリに毛の生えたような性能しか持ち合わせていないが、その"毛の生えた"程度のアドバンテージは悪路の走行性にあって、ちょっと混んでいるような都会で車道と歩道を気ままにチェンジしながら道筋を選んでいく分には都合がいい。


(延々と工事を続ける山手通り、車道に見える中央の道は歩道なんです)

国道246号線を西に走り、多摩川を渡って神奈川県に入ると、既に日は落ちて夜道となっていた。一年前はこのまま246号線を走り続けたのだが今回は多摩川沿いのサイクリングロードを下ることにする。これはなかなか爽快な体験であった。暗がりの中、時折すれ違うサイクリング愛好家たちに一方的な同胞感を抱いたりしながら丸子橋のあたりで、泣く泣く一般道へ。そこからは綱島街道、そして菊名付近から環状2号を通り、東戸塚へと進む。比較的走りやすい道筋ではあったが、環状2号は細かなアップダウンが続き閉口した。

東戸塚からは国道1号を、既にへばった体にムチを入れて走り、なんとか10時前に実家へと到着。ネコと祖母が出迎えてくれたが、母親の姿がない。聞けば「2泊3日で甲州街道をウォーキングしている」とのことだった。母もまた、冒険していたのね・・

ところで、例えばgoogleなどで"自転車 日本一周"などと検索してみると、いろんな人の旅行記がヒットする。私はそういった旅行記を読むのが好きで、よく"世界中の地名"と"自転車"といったキーワードを組み合わせて検索し、旅人の足跡を眺めては妄想に耽ったりするのだが、今回自転車を漕ぎながら「自分にも日本一周ができるのではないか?一気にやるのはいろんな意味で到底無理な話だとしても、休日に各地をちょこちょこと走って、その合計でぐるりと日本中を回るというのは可能だろう」などと考えてしまった。いわば、新たなライフワークというわけだ。一気に心が盛り上がってきた馬鹿な私は、とりあえず次の日にできるところまで西へ向かうことにした。

10月5日、いきなり寝坊した私は11時過ぎにようやく藤沢の実家を出発。海沿いの国道134号を少し走ったところで、更に海岸線沿いに自転車道があるのを発見。やがてこの道を走っていて、ある事に気付く。

「この道、中学校のマラソン大会で走った道じゃないか!」
そう。この道は、いつか来た道だった。ちなみにそのマラソン大会で私は9位入賞し賞状を貰った。あの頃は体力、あったなあ・・私と同じように学業成績が低迷し、そのせいかアイデンティティーをマラソンで優勝することに求めていた(そして、見事に優勝していた)K君は今、どうしているのだろうか?


(茅ヶ崎の自転車道、車両止めが烏帽子岩の形をしています)

自転車道は茅ヶ崎で終わり、平塚を越え、大磯へ。この辺りで134号は1号と合流する。1号を少し行ったところで私は、ふと脇に"太平洋自転車道入口"と書かれた看板があるのを目にした。反射的に左へ曲がり、その自転車道へと突入。そこは、有料道路・西湘バイパスの脇を通るルートだった。まさに海岸線沿いに伸びていた藤沢・茅ヶ崎付近の自転車道ほどには気持ちのいい道というわけでないけれど、信号もないし、自転車道なので走りやすい。こんな道が太平洋沿いに伸びていれば、日本一周も案外楽だろうなあ。しかし2キロほど走ったところで、その道(と私の楽観)はプツッと途切れる。続きを探したが見当たらない。なんとも中途半端な道路なのであった。


(短くも儚い太平洋自転車道、ちょっと名前負けでは?)

気を取り直して再び1号線を走る。小田原の市街が近づいてくると、この街道沿いも旧家に蔵といった風情のある景色が見えてくる。市街地に建つ小田原城への到着時刻は、午後1時半ぐらいだったろうか。ここまで2時間少々の道程だったが、起伏もなく、道も走りやすく、景色も良くと三拍子揃った大満足のサイクリング内容だ。私は一旦自転車を降りて、城内の公園を散策した。ここは幼少の頃、祖父に連れられて来た記憶がおぼろげに存在するのだが、ほとんどはじめてと言ってもいい場所だ。園内ではニホンザルやゾウが飼われていた。このゾウは非常にチャーミングなゾウだった。


(小田原のゾウ、優しい眼をしている)

一通り園内を散策し、さてそろそろ昼食でもと思ったが、私は店を探しつつ、とりあえず熱海方面へと出発することにした。この時点で伊豆方面には行かず、箱根へと向かう選択肢もあったのだが、一応日本一周を視野に入れている以上、伊豆半島ぐらい大きな半島を無視するわけにもいくまい。それに箱根越えは辛そうだし、伊豆は楽しそうだ。しかしその選択はあまり正しくはなかったのかもしれない。小田原市街を出て国道135号に出ると、ほどなくして歩道はなくなり、側道もほとんど存在しないという自動車のことしか考えてないような道が続いていた。おまけに交通量も多い。わたしはちょっとビビりながらも、ゆっくりと足を進めた。根府川の手前に「浜屋」という食事処があり、ここで昼食をいただくことにした。もう3時前である。この店の2階には屋外デッキがあり、相模湾の景色を堪能しながら私は1500円の刺身定食と、いわしバーグなる特産品を味わった。このいわしバーグは美味で、帰りがけにもお土産として購入した。愛想のいい店の若者に「自転車ですよね?今日はどちらまでですか?」と聞かれたので、あまり終着点のことを考えていなかった私は少し考えて「熱海までで、その後電車で東京に帰ります」と答えた。この瞬間に今日の目的地が決定した。


(浜屋から見た135号、側道がほとんどなく自転車には危険)

3時過ぎに浜屋を出ると、程なくして有料道路・真鶴道路と135号の分岐が出現した。自転車の私は当然135号の方へと進んだのだが、その行く手には延々と上り坂が続いていた。地図を見るとほぼ海沿いを進むこの道だが、この辺りは陸地がすぐ崖になっていて、僅かな平地は真鶴道路が占めているため坂を上っていかないと熱海には到達できないのだ。私はヒーヒー言いながら上り坂を漕ぎ、やがて自転車を降りて押し、頂上からはパラダイスのような下り坂を飛ばし、そしてまた真鶴から上り坂を漕ぎ、自転車を押し、2度目の頂上から2ndパラダイスを堪能した。辺りの崖地はずっと、みかん畑だったと思うが、もう景色を楽しんでいる余裕はなかった。2度目の幸福な時間を終えると、道路標識にやおら"熱海駅"という表示が出てきて、あっさりと駅に到着した。夕方の5時ごろであった。

伊豆の地形は想像する限り、この小田原から熱海までのようなものの延長であろう。日本一周を夢想した私は早くも、行く先の険しさにげんなりとしながらも、去年から検討し続けてきた新車の購入について思いを巡らせながら、帰路についた。

続く(のか?)

ALPSLAB routeで表示する今回のルートはこちら↓

東京-藤沢
藤沢-熱海

10.03.2008

変わるものと変わらぬもの

日曜の夜、家族が大河ドラマの「篤姫」を欠かさず見ているので、私も付き合ってだいたい見ている。そして、良くできているなあと基本的には感心する一方で何か心に引っかかる物足りなさをいつも覚えるのだ。その正体は何だろう?

といったところで過日(1ヶ月ほど前だが)、久しぶりに映画を見てきた。ケン・ローチの最新作「この自由な世界で」である。物足りなさの欠片もない、というよりもむしろ、見た者の心をシリアスな空気で破裂させるかのような充実したドラマがそこにはあった。以下ネタバレ多少あり。

舞台は現代、ヨーロッパ、英国。好景気を謳歌するこの国には多くの移民労働者が移り住む。主人公のシングルマザーはポーランド等からこういった移民労働者を英国に斡旋するエージェントの一員として働くがトラブルにあってクビになる。バイタリティー溢れる主人公は自らエージェントを立ち上げ、英国内でくすぶっている移民労働者たちに職を紹介しはじめるが、ぎりぎりの資金繰りで続けるうちに、やがて法に触れた行為に手を出すようになる・・といったストーリーが展開される。まさしく、自由主義経済の下での現代的な課題に正面から向き合った映画だ。タイトル(「it's a free world」、邦題はほぼ直訳ですね)もまた秀逸である。

ここで描かれる世界は主に、移民労働者からの搾取という極めてリアルな問題を提示しているのだが、私が思うにこのドラマへリアリティーをもたらす要因は、緻密な取材を繰り返して構成していったことを想起させるその舞台設定やストーリーの大枠のみならず、主人公とその友人が繰り広げる心模様とその行為の描写にあるのではないか。新たな移民ではない、元来英国市民である彼女たちもまた、エッジの上を歩くような状況下でハメを外したり、真剣になったり、より困っている者へ施しを与えたり、地獄へ突き落としたりする。そういった彼女たちへ映画を見る者は、同情こそすれど支持することも憎むこともできないだろう。映画を見終えた観客はよりマクロな視点で、現代が抱える問題について考えることになるのだ。

と「この自由な世界で」を見た後しばらく、私もマクロな感じで諸問題を考察したりしていたのだが、そんな中でふと、「篤姫」は何故少しばかり物足りないのかというミクロな事象について解答を得たような気がした。「篤姫」の登場人物は主人公である姫を除いてほとんど皆、ドラマの中ではじめに持たされた信条をほぼ変えないのである。姫は様々な人物に出会い、その信条に触れ、ほう・・そういう考え方もあるのか、と吸収していく人物として描かれ、それぞれの信条を持った脇役たちもそれによって善悪では判断できない魅力的な存在となるのであるが、脇役たちがこうして輝けるのは全て、主役の姫がそれぞれの立場を理解できるからこそだ、という仕組みになっている。

つまり、「この自由な世界で」と「篤姫」は、支持することも憎むこともできない中立な人物像をあぶり出す仕組みが異なっている。「この自由な世界で」の主人公たちは、ある特定の人物や出来事によって善悪の彼方へ導かれるのではなく、ドラマの世界観全体によって導かれるのだ。

「篤姫」の仕組みはストーリー作りの一手法なのであろうが、現代において、「この自由な世界で」のような世界においてリアルではないだろう。無論「篤姫」の世界は江戸末期、100年以上前のことで、現代的なリアリティーを求めるのには無理があるのかもしれないが、当時の人々も時代の変革期において、難しい局面で判断を迫られ、心情や行動にぶれが生じると考えたほうが自然で、完成された人物像ばかり見せ付けられてもその時代錯誤(現代とのギャップ)に白けてしまう。まして今、放映することの意味を考えると、やはり大河ドラマといえど今という時代が抱えるものに投影するようなものであって欲しかったと思う。良くできたドラマだが、根本的にそこが私にとっては残念なところなんだな。



余談だが、「この自由な世界で」を見て、イギリスにおける移民労働者の実態を思うと、フットボールファンの私としてはやはり、ベルバトフ(ブルガリア人)やシェフチェンコ(少し前まで英国にいてイタリアへ戻ったウクライナ人)といった移民を供給する側の国籍を持つストライカーたちが、搾取される労働者の偶像としての存在感を強めているのだと想像せずにはいられない。映画の中にも何気なくかつ示唆的に、移民たちがボールを蹴っているシーンを見ることができるが、イングランド人のストライカー達がイングランド人労働者階級のアイコンであった時代は移ろい、資本(これも国際的になった)が移民供給国のストライカーを買い漁り、そしてイングランド人の優秀なストライカーはほぼ絶滅したのである。

対岸の火事と侮るなかれ。Jリーグとブラジル人選手、それと日本が多く抱えるブラジルからの移民(ついでに優秀な日本人ストライカーが現れない現状)との関係についても、考察してみる必要があるのかもしれない。

9.26.2008

さよなら王監督

福岡ホークスの王貞治監督が、辞任することになりました。
とりあえず、本当にお疲れ様でしたと言いたい。
私は一応、20年以上のキャリアを誇るホークスファンなのです。

しかしホークス、今シーズンはこのまま終わりそうだね。
来年以降も終わりつづけなければいいが・・

王監督の2年目から、去年まで10年Aクラス。で、その前が20年連続Bクラス(プロ野球記録らしい)。
更にその前は野村プレイングマネージャー時代(換言すると、弱いけどやりくり上手で何とかAクラス時代)、もっと前は伝説の強豪だったわけで、好不調のスパンの長さには何とも驚かされる。

王監督期は個人的に、野球への興味を失っている時期で、Bクラス時代のほうが印象深いのだけど、それでも、

・1999年の篠原の多用
・2003年の最強打線

この2つは見事だった。私の印象としては、王監督の采配は何といっても頑固一徹。このシーズンはこのピッチャーと決めると、延々と使い続けるのだ。酷使とも言えるその起用法は結果的に、そのピッチャーにスポットライトを当てることになり、心配やら共感やら同情やらという、ただ応援するという以上のものをマウンド上のピッチャーへもたらすことになる。99年の篠原はそういったファンの視線に答え、年間を通じて素晴らしいピッチングを展開した。後年の三瀬などにも同じことが言えよう。

そしてチーム打率ほぼ3割、30発以上打った打者が4人というプロ野球史上でも1、2を争う打線を形成した2003年。怪我でシーズンを棒に振った小久保がここにいたら一体どうなっちゃうんだ?ということを夢想したものだが、この打線は他所から好打者を取ってきて並べたものではなく、何年も前から将来に向けて、経験不足の打者たちを辛抱強く使い続けた"頑固一徹"が見事に結実したものであった。

いずれも、王監督でなければ実現し得ない成果だったのではないか。

8.26.2008

北京五輪雑感2 -サッカー-

さて私の大好きなサッカーですが、当然このオリンピックでも注目しておりました。最大の目玉はやはり、直前まで出場・欠場を取り沙汰されたメッシ(中国名:梅西)のプレイなのだろうが、ニュースのダイジェスト映像以外では決勝戦しか見れませんでした。もう彼の場合は、調子の上がらない試合でもなんとなく見せ場を作ってしまう域に達してきたようで、いよいよ超一流の仲間入りといったところに見えた次第であります。今シーズンも楽しみだ。

そこで、ほぼTVでフル観戦できたオリンピック日本代表の話に焦点を絞るが、女子の4位というのは事前に快進撃を予想していた通りになって、嬉しかった。他のチームと比較して特筆すべき点は終盤まで走り回れるその運動量だろう。相手の足が止まった後も、日本代表の面々は動き回っていた。ニュージーランド戦で追いついたのはまさにその長所が結果に出たものだったし、それ以降の試合も、例え劣勢にあっても最後まで期待を持たせてくれた。

難点を言うなら監督の采配と、キーパーだろうか。佐々木監督は大会前に「銅メダルなら十分狙える」というような発言をし、大いに選手の士気や視聴者の期待を煽った。この良い意味でペテン師的な行為は名監督と呼ばれるような人によくあるもので、この時点では佐々木氏の資質を大いに評価したくなったのだが、実際の試合を見る限りでは、縦に急ぎすぎる攻撃を序盤から最後まで貫く単調さが目に付き、選手交代が遅すぎるのも気になった。あの攻撃陣なら、もっとゆったり繋ぐサッカーができただろう。それでも、アイデアのない人ではないだろうという予感はするので、今後に期待したい。またキーパーのキックが精度に乏しいという技術的な問題も、いくらでも今後の練習によって解決できる話だろう。それにしてもやはり沢選手は一人、急ぎすぎる攻撃パターンの中でリズムを変えられるという点で異彩を放っていた。

男子もまあ、3戦全敗というのは残念ながら予想通りであった。相手が強いのだから仕方がない。
その中でも今後更に伸びそうな若手を幾人か確認することができた。特に内田選手などは、この1年だけ見ても飛躍的にプレイヤーとして向上している。思うに、従来日本代表チームは低い世代のカテゴリーであるほど結果を残してきたのだが、クラブチームなどの選手育成が浸透してきたことによって、選手の成長曲線が全体的にゆるやかな、年を取ってから向上していくというようなものに変化しつつあるのではないか(例えばイタリアのような)。中村俊輔や松井大輔といった選手たちが、20代後半になってからも目に見える成長を遂げていることなどが、それを裏付けているような気がするのだ。それに、柏木・梅崎などといった優秀な若手が選ばれないほど選手層が厚くなっていることも見逃せない。それこそメッシのように突出した存在は今だ現れないが、日本人サッカー選手全体の底上げは確実に進んでいる、と見た。

しかしまあ、難点は当然ながらある。やはりオーバーエイジ枠を活用してもらいたかった。オリンピックのサッカーについては完全に育成の機会と捉え、結果を不問とする国も数多く存在するのだが、JFAの態度は明らかにそれとは違っていたはずだ。それなのにきっちりとオーバーエイジの選手を確保できなかったというのは反町監督だけの責任では決してないであろう。私個人としては、中澤・中村憲・大久保を招集してもらいたかった(遠藤など体調不良だった者や海外組は除く)。反町ジャパンのコンセプトは簡単に言えばサイドアタック。しかもFWに高さのある人材を揃えない、ということは、サイドアタックからのセンタリングへFWに加えMFやDFの飛び込みを併せた数で勝負する、というものであったはずだ。それなのに、選ばれたMFの面々にはゴール前に飛び込んでいくというプレイオプションがなかった。これは大きな矛盾点だ。先述の私的希望オーバーエイジ選手たちには、そういうプレイができる。

男子サッカーに参加した国のうちオーバーエイジを活用しなかったのは、日本を含めわずか2ヶ国だったそうだ。不況が囁かれ始めている日本サッカー界にとって、この結果を出せず過程にも問題があったオリンピック男子の姿は、大きな痛手であろう。

8.25.2008

北京五輪雑感1 -サッカー以外-

久々の更新ですがオリンピックについて。今までは仕事に追われていたりとか、たまたま海外にいたりとかで、大会を通じてじっくりとTV観戦したことがなかったのだが、今回は随分と楽しんでしまった。

見ていて一番興奮したのは何と言っても、大会終盤に行われた重量挙げ男子105kg超級である。この競技は事前には全くのノーマークだったのだが、たまたま何かの作業中にTVをつけっ放しにしていたら決勝戦がライブ放映されていた。そして少し本腰を入れて見出したら、もう釘付けだ。何しろ「世界一の力持ち決定戦」である。このシンプルなテーマに、シンプルなルール。何よりバーベルを持ち上げる瞬間に選手が見せる気合のこもった表情がたまらないのだ。

ロイター配信のナイスな写真があったのでここにリンクしておきます。

この競技は最後にロシアの選手が、これ以上は無理だろ?というぐらいのバーベルを上げて喜んでいたところに、ドイツの選手がその無理を通してしまって見事な逆転優勝を遂げた。その劇的な展開も良かったが、何故か会場の観客にマッチョが多くて(ウェイトリフティング関係者か?)、盛り上がりぶりがド迫力だったのもまた印象的であった。

見ていて一番、自分もやってみたいと思ったのは、BMXだろうか。小さい自転車で段差のあるコースをレースする競技である。これも大会終盤に開催されていたが、短距離レースなのになにしろ完走率が低いのだ。狭いコースを8人で走るので、おそらくスタートダッシュ(瞬発力)と相手に接触せずに走る能力(動体視力)が主に要求されるのだろうが、多くのレースで接触が起こり、数人脱落していく。それでも皆、限界に近いところまで接触を恐がらずに走り、トップを目指すところが魅力的だ。決勝でも、2人が抜け出してデッドヒートを演じ、後ろの選手が「銀メダルはいらない」とばかりに仕掛けて自滅し、メダル圏外に終わってしまっていたが、この「勝利以外に意味無し」といった姿勢が、どこの国がメダル何個といったみみっちい計算をオリンピックの意義としているような、ある論調と対極を成しているようで清々しく思えた。

清々しいと言えば、この大会を通じて私が目撃した一番清々しい表情は、平泳ぎ100mで北島選手が優勝した際に、どこのコースからか寄ってきて彼を祝福したどこかの国の選手だ。北島自体、私が言うまでもなく素晴らしかった。アテネでヒーローになった時には特に興味をそそられる対象ではなかったが、偉そうに言えば、競技自体や、その後のマスコミ対応を含めて見ても、人間的な成長を大きく感じさせられたのだ。やはり鍛えている人間は違うなあ、俺も頑張らなきゃな、なんて気にさせてくれた。が、あの北島を祝福した選手の表情は北島以上に特筆ものだった。同じ競技をやっている者だけがわかる、北島が成し遂げたことの凄さに対する純粋な敬意と、決勝を一緒に戦った同志としての感情が入り混じった清々しさだ。

日本人選手の中に、負けてなおあのような人目を惹く態度を取れる者がどれだけいることか・・などと書いてみて、一人思い浮かんだのが女子レスリングの伊調千春選手である。彼女は2大会連続で決勝戦に敗れ、銀メダルに終わった。レスリングのようなトーナメント方式でメダルを争う競技において、銀というのは最後に負けて得る色で、3位決定戦に勝って得る銅メダルよりもどこか切ないものに感じられるのだが、伊調は掛け値なしで満足している様子に思えた。それだけ、そこまでの過程において「全てをやり切った」ということなのだろうということと、後に戦いを控える妹・伊調千春選手への気遣いでもあるということがひしひしと伝わってくる、実に見事な態度だったと思う。